村の自慢のトイレは、学校のトイレ!!


教育を受ける権利を守るために必要なことは、学校や教室を建設することだけではありません。安心して使えるトイレも重要です。インドの農村部では、トイレが女子教育の改善に大きく貢献しています。(清田)

https://www.we.org/stories/clean-water-sends-girls-to-school-in-india/

 

 


女子用のトイレは、ただのトイレではなく、「居場所」です。それは時には避難所であったり、集合場所であったり、生理に初めて気付く場所であったりします。 

セラミックのタイルから響く音がしても、男子には聞こえない、まさに男子禁制の場所なのです。

でも、 閉まったドアのすぐ裏側にトイレがあって、水も普通に流れて来ないという問題のある場所に住むとしたら、どうなるでしょう?

 

インドの農村部で社会的にも弱い立場にある家庭に生まれた少女たちにとって、トイレに行くのはとても恥ずかしいことであり、そのことで勉強が中断したりして、将来にも悪い影を落とすことがあります。

小学校で読み書きの勉強をするにしても、高校で代数学に取り組むとしても、トイレの問題で教育が危険に晒されかねないのです。

読み書きができない、早婚、そして10代で妊娠、こうような循環の繰り返えしが一層強くなるのです。

 

「私は教室を出て校舎の裏まで行かなければなりませんでした」と、インドのラジャスタン州の最北端の村、カルタナの5年生の少女が言います。

 

カルタナ小学校では、トイレのブロックは戸外の男性トイレ用に仕切った小さな場所で、屋根もドアもなく、コンリートを掘った穴と穴の間に仕切りのような物があるだけで、男の子だけがどうにか使用できました。

 

女の子は男の子と並んで用を足したくありませんでした。そんなことをするくらいならと、大切な授業を受けられなくても、プライバシーを守るために校舎からずっと遠くまで歩いて行きました。

 

ひっそり用を足すのは困難でした。ヘムラタはこの学校の12歳の生徒です。彼女は、洗う水をバケツで運ばなければならなかったと、通訳を通じてヒンディー語で説明します。

汚水処理が進んでいない国・地域では、トイレットペーパーなどないのが普通です。きちっとしたトイレには、トイレットペーパーの代わりに洗浄用の水洗トイレと水道の蛇口が備わっているものですが、これらの少女たちは即席で水を用意しなければなりませんでした。

 

ヘムラタは日当りの良い学校の前庭の木陰に座っています。隣には下級生で4年生の親友マムタがいます。

彼女たちの友達は時々授業を無断欠席することがあると言います。

厄介なこと―廃棄物のような机、重いバケツ、長い道のり―を避けるためです。彼女らが2人とも背中を曲げてひっきりなしに指を動かす様子から、それが周知のことだとしても、苦境を話題にするのは不愉快だということは明らかです。

インドはトイレが利用できない人の数が世界で一番多い国で、7億3千2百万人にのぼります。

 

屋外での排泄は常習的で、畑や市街地の溝にしゃがんで用を足しているのです。

少女たちは、プライバシーを守るために独りで出登下校する時、嫌がらせや暴行を受けることも覚悟しなくてはいけません。

そのため、国や行政が少女の教育を推奨していても、彼女らは家から外に出ません。

毎月特定の期間(生理の時)に品位を守るために、または身の安全のためにです。

 

2009年に、インドの国会の決議が6歳から14歳までを義務教育とし、一部の公立の学校では、奨励として給食、制服、そして生理用品までも無償で給付するようになりました。

その結果、インドの小学校への入学率は目覚ましく、ユネスコの最新統計によると92%に達しているとされています。

 

しかし、このお堅いデータには、女性の身体的な変化とトイレの状況のような項目は考慮されていません。

子どもの入学数と実際の通学数とは別物なのです。

 

カルタナ村では、ヘムラタやマムタと教育を阻害していたのは、教室が無いことではなく、トイレがちゃんとしていないことだったのです。

 

2014年、WE Charity(フリー・ザ・チルドレン)は学校の手押しポンプと試錐孔から飲料水を汲み上げるレバーの手直しを行いました。

WEは、水道工事人を雇って、ポンプの口から出る水の流れをそらす小さな弁装置を取り付けました。

それは鉄道の転轍機と同じ作用です。ポンプを上げ下げすることなく、水は地下や校庭を通るパイプへと流れ落ちて行きます。このパイプは、壁の表面を登り、屋根の頂上に設置した貯水タンクの中へ入って行きます。

そこで重力の下へ引く力が電気の代わりをして即座に水を供給するのです。

学校の電源は不安定なので、電気に代わるべきものが重要です。

 

 

この小さな土木工事の功績が村の歴史の中で最初の水道水を生み出し―生徒たちが清潔な水の利用ができるようになったのです。

 

この水は別の村に先ず繋がれました―WEは、新築の手洗いブロックに水洗トイレを設置しました。

男子用と女子用に別々に分かれ、各々にドアがついていて、手洗い場にはピカピカの蛇口が並んでいます。

教室の建築だけでは、〈これも非常に重要ですが〉少女たちを受け入れるには不充分なのです

 

ヘムラタとマムタにはもはやトイレの破損の心配もなく、このような設備を友達に自慢さえしています。

この地域の他のどの小学校にも水洗トイレも、水道も、手洗い場もなく、またカルタナ村のどの家庭にもありません。

 

最近6人の生徒が、手の上に冷たい水道水が流れる感触に触れたくて、立派な私立の学校を退学してこの学校に移って来ました。

 

古いトイレの建物は今、苔むし、太陽に晒され、床には枯葉が散らばり、古代の記念物のように立っています。

 

給食のベルが鳴ると、休憩時間の大混乱は日常茶飯事で、低学年の児童は、ごはんとレンズマメが盛られる皿やプレートをきれいにするために手押しポンプを押そうと最前列に並ぶために競争になります。

ほっそりした男の子は手を伸ばして全身の力でレバーを押します。

その瞬間、彼の小さな両足は水圧の対重を受けて地面から離れます。

 

今何か起こりそうなことがあっても、それはヘムラタやマムタやこの男の子には同じです。

しかし何年かすると女子生徒は高校に進学します。そして思春期にある彼女らにとって、生理的な要求(トイレに行きたくなること)に対応することは、更に屈辱的な気分を味わいかねないきっかけになります。

 

ジータとシータの一卵性双生児の姉妹は17歳でベルダラ中等中学の10年生です。

近隣の村の小高い土地に無秩序に広がるベルダラ校は、成績が良ければカルタナ小学校の卒業生の到着点となる学校です。

学校のトイレに問題があるために、少なくとも12人の地元の女の子が学校に行くのをやめたと、ジータが言います。


インドでは、小学5年の終了率は95%である一方で、中学への入学は62%に過ぎません。

思春期を迎え、月経がはじまると、中途退学する子どもの数も一気に上がります。

生理の期間は森林地帯への徒歩を避けるため、丸1週間は授業を休むことができます。10代の女の子はまた、農作業や、結婚して夫の家族の食事の世話をするために授業を抜けることもできるのです。

多くの家庭にとって教育を受けた娘は誇りです。が、よくない環境にいる娘たちの恐怖に先ず対応しなければなりません。

 

「恥ずかしい」は、ジータが例のトイレを使用する時の表現として使う言葉で、女子と男子の両方にあてはまる語でしたが、多くの女子はその言葉を使うのを避けていました。

ジータはいつも先ずこの語を口にするのです。

 

「私たちは外に出なければなりませんでした」とシータが付け加えて言います。

「そのようなわけで学校に来る女の子は多くなかったし、親も行かせようとはしませんでした」。

娘の品位を心配するのは、思春期の10代の子ではなく、その親だったりすることが時々あります。

 

以上がこれまでの話です。

 

今、ベルダラ校の最高の恵みは、ところどころに蛇口が突出している細長いスチールの流しです。

男子用、女子用のトイレのブロックと同じ長さで、共同で使用する手洗い場です。

WE Charityはカルタナ村で建てたように、男女別々の水洗トイレのブロックを建てました。

 

カルタナ村とは異なって、工事にはバルブやタンクの他にもう少し装置が必要でした。破損した建物を壊した後、WEは教室を3室新築すると同時にトイレのブロックも建て、配管の取り付けを十分に行いました。

 

ソーラーパネルは、その30台が目下屋上に設置されていて、間もなくこの学校はクリーンなエネルギーで蘇えることでしょう。

 

 

学校に水洗トイレが取り付けられ、プライバシーが守られるようになったため、ジータとシータは思い切ってそれを公表して回わってみました。

友達の家2軒を訪問してその親に会って話しました。
 

「『今は心配することは何もありません。娘さんを学校に行かせますよ』と言って」。ジータが話します。

 

本当に彼女たちは公表して回ったのです。

 

2年すればジータとシータはベルダラ高校を卒業し、丁度その時にヘムラタとマムタが高校1年生となります。

女子の全員が大学に進学して教師か医者になる計画を立てています―またシータが言うには、数学の成績が良ければ、彼女はエンジニアになる計画を立てています。

 

未来の女子用トイレの青写真を何枚も心に描いているのかも知れません。

 

(原文記事執筆: ケイティー・ヘウィット  翻訳:翻訳チーム 松田富久子 文責:清田健介)

 

 


希望の源となる水

作物を育てるための水が安定的に確保するのが困難だったインドの農地。

この地に水をもたらしたのは、ちょっと驚くようなアイディアでした。(清田)

https://www.we.org/stories/new-wells-benefit-farmers-in-rural-india/

 

 

 

まるでアニメに出てくるような青い空。無邪気に仮面をかぶったこの空が、地上で暮らす者を支配する威力を秘めているのです。

カールタ・ラマは、井戸、と言っても地面の下から草の上の高さまで突き出ている石の円形物の縁に腰をかけています。

85歳の今、手には樹皮のように深く荒々しく彫ったようなひび割れの筋が何本もあり、この土地で骨を埋める運命に黙って従う男のストイックな風貌が漂っていました。

 

カールタはここ、ラジャスタン州ヴェルダラの農村の農家の5代目です。少年時代は父親を手伝って手作業で井戸掘りをしました。

何十年間は農地は灌漑用の水で満たされていましたが、その後干上がるようになりました。

カールタや水源を共有するその他の農家は、非常に苦しい状態に陥っていました。農作物は枯れ、食べ物も底をついた状態でした。

 

WE Charity(フリー・ザ・チルドレン)がこのニュースを聞いた時、現地の活動チームの仲間が、かなり物騒な解決策を持ってやって来ました。

それは、ダイナマイトを爆発させたり、重機を使って井戸の内側を掘り起こすというものでした。

重機を制御しながら破砕していく作業がおこなわれたら、岩石の中の水脈が新たに分断されて、深さを増し、地下水の帯水層に蓄えられる確率が高くなると、WEの開発専門家は断言しました。

 

カールタは当時を思いだしてメワール語で話します:”Kisan darap  riya ha” 「みんな本当に震え上がったなあ」と。

 

カールタたちは1つの選択に直面しました:井戸が枯渇して行くのを唯じっと見ているか、それとも、より多くの水が湧き出るのを期待しつつも重機の力で彼らの生き延びる手段そのものを吹き飛ばすか。

 

以下は、自然と対峙する1人の老人の物語です。

 

自然の恩恵が順調である限り、母なる自然は大して気にも留めないものです。

ラジャスタンはインドの土地面積の10パーセントを占めていますが、地表水はたった1.1パーセントに過ぎません。

そこは極端に荒れた土地で、夏の日照り続きの暑さの後は突然モンスーンの雨になり、田畑が冠水しまいます。

住民は、雨が降らない時は、井戸と地下から水を引き出す試錐孔に頼って生活しています。ちょうど2年前、この地方は飲み水の危機に見舞われました。

地下水が充分補充できず、飲料や入浴に使ったり、また食器を洗ったり動物に水を与えるといった需要に素早く対応できませんでした。

 

 

 

これはカールタの村のような小さな部族のコミュニティには大問題でした。小さな土地に住む人達は農作物だけを生活の糧としています。

つまり、家族が食べるに十分なだけの種を蒔き、売るほど余分なものを作らないのです。彼らには飲み水が必要であり、主要な食料源となる野菜を育てるために水が必要です。

 

70年前、カールタが15歳の時です。彼の父親、祖父をはじめ近隣の土地の多くの農家が掘削する場所の探索を始めました。岩盤の査定もせず、地質図も持たず、彼らは近くの丘陵地帯の尾根を調査しました。そこは雨水がジグザクコースを通るように流れ落ちるところでした。底を見ると地下水がしばしば溜まっている小さな低地がありました。ここがいいだろう、と彼らは思いました。

 

幸運祈願のセレモニーとして、彼らは地面を砕く前にココナッツを割りました。

そのあと10人余りの男たちがバールやショベル、のみやハンマーで土や岩を叩きつけ、毎日6時間かけて手作業で石を割り、牛でそれを引っ張り出すという作業を続けました。

10代の少年カールタも参加しました。当時村には学校がなかったので自由に働けたのだと、彼は通訳を通して付け加えて言います。

農民は穴が雨水で満たされるモンスーンの雨季だけ作業をストップし、寺院に行って乾季にもこの水がずっと続きますようにと祈りました。

 

1年間掘って、周辺の土地に水を引くに十分な地下水を継続的に得られるようになりました。

夏にはトウモロコシ(the kharif crop)、冬には小麦(the rabi crop)を植えました。彼らの祈りは、神に届いたのでしょう―多少は。夏が来るたびに、水位は落ちて行きました。

 

小麦はよく水を欲しがる作物でねと、カールタは説明します。

この気候とこの作物の特異性からすると、植え付けから収穫まで、シーズンを通して、畑は6,7回潅水させなければなりません。

1軒の農家の畑で、毎回150,000リットルの水を吸い上げます。カールタの作物だけでも、1シーズンにつき100万リットルの水が必要でした。

手掘りの井戸では1日に30,000リットルしか取水できず、全ての農家に行きわたるには充分ではありませんでした。

そのためこれは大問題になりました。

 

農民は水の割り当てをしなければなりませんでした:誰の土地に最初に水を支給するか、何回行うか、最初に作付けしたのは誰か、誰の農地が井戸から最も遠いか、家族全員を養えるようにするのには、数をどう数えるのか、と言うように。

水位は低下し続け、取水が不可能なところにまで達しました。
 

全ての井戸が修復不可能と言うわけではありません。掘削に都合の良い岩や堆積物があればそれだけで狭いトンネルを支え、何万リットルもの水の保有の重圧にたえることもできます。

農民たちに話を持ちかける前に、WE Charityは水の循環調査を行い、実行の可能性を判定して、この井戸は深く掘られてもそれ自体では崩壊しないこと、また、事実、より多くの水を排出することを保証します。この地域では15基ごとに1基の井戸だけが調査の対象として選ばれます。

 

カールタの井戸は、2013年に選ばれ、彼はしぶしぶ、同意しました。WE Charityが機材を運び込み、機械の操縦者を雇い、この計画に資金を提供しようというものでした。

しかし、それには15軒の農家全員の承諾が必要であり、コミュニティの同意によって水源が枯渇することなく長期間利用できることが保証されるとの推論を基に、農民は肉体労働で作業に協力しなければなりませんでした。必然的に、カールタが他の14軒に対してダイナマイトの使用は実用的な選択であると説いて回らなくてはならないことになります。ほとんどの農民は学校に行ったことがなく、そのため査定の報告書を読むことができませんでした。

何の証拠があって、この事業が上手く行くと言えるでしょうか?

 

「これ以上もう農業はできなくなるんだぞ」カールタは事業を信じない農家に話しました。「だから、やってみようよ」と。

 

クレーンは狭い道を部品ごとに担ぎ上げて運び込まれ、作業現場で組み立てられなければなりませんでした。

ダイナマイトは大きな岩をほぐして細かくして手作業で割れるようにするのですが、今回は簡単に岩をクレーンでつり上げて出すことができました。

爆破は周囲の山で作業する人がいなくなり、道も人通りが少ない夜間に行われました。井戸掘りの専門業者は、先ず一掘りした後、地元の住民にあれこれと掘り方を指導し、岩の中のより深い水脈に突き当たるよう角度を変えながら掘り下げて行きました。

 

カールタは、井戸が一時的に壊され、中の土が手際よく積み上げられていく様子を見守っていました。

 

「作業が半分まで完成した時でも、まだ信頼できなかった」と、彼は認めて言います。「しかし、この心配は誰にも打ち明けずにいました」。この時はじめてそれを口にしたのです。

 

カールタとその先祖の人たちは、地下を300メートル掘るのに1年もかけてきました。今回は、同じ作業がか月で終わり、深さも60メートルに達しました。

復旧作業の中には水の保有を保つために1列にレンガを積む作業もあり、さらに、盛り土 ― 井戸の周りに積む石の縁 ― を追加して、水が溢れ出ないように、また、近隣の動物から出る汚水が入リ込まないようにしました。

 

井戸が完成すると、農家の信頼も元に戻りました。

 

 

復旧作業が終了すると直ぐに水量が増え、地下水の賦存作用の確率が高くなりました。

穀物の生産高は―トウモロコシも小麦も―共に伸び、新たな作付けシーズンの数も全般的に増えました。

大豆は今ではトウモロコシと並んで植えることができます。それまではどの作物も育てられなかったのに、いまではヒヨコマメ〈豆類〉が真夏の最も暑い時にも育ち、他の作物も雨が降らない時期でも生い茂っています。

 

井戸が改造されたおかげで、地下水の賦存作用率が1日当たり80,000リットルになり、耕作可能な土地の面積は4,840平方メートルから21,090平方メートルになりました。

カールタの土地だけでも、以前の648平方メートルから現在では2,522平方メートルにまで増え、家族への影響は計り知れません。

 

「家族の食料は充分あり、みんな元気。育てたいと思えば何でも育てることができますよ」。

 

改造以来、井戸は夏でも枯渇したことがありません。

 

今は冬で、カールタは腰の後ろで手を組んで、軍曹が自分の小隊を閲兵しているように、ゆっくりと小麦畑を歩いています。

この時期は、作物の茎の高さや色は、背の高い草と同じですが、春の収穫時までにはカールタの腰までの高さになり、彼の農地は緑から黄金に変ります。

 

2人の息子は成長してしばらく農作業を手伝って来ました。やがて彼らは土地を引き継ぐでしょう。

4人の孫がその後を、そしてひ孫が・・と代々受け継いで行くことになるのでしょう。

 

「昔よりもずっと長く休憩しています」カールタは語ります。

 

(原文記事執筆: ケイティー・ヘウィット  翻訳:翻訳チーム 松田富久子 文責:清田健介)

 


【学生時代に資金調達】インドのヴェルデラ村に建設された学校を視察してきました。

2018年7月からフリー・ザ・チルドレン・ジャパンのスタッフとして働きはじめた福井雄一です。僕は大学生の時に、インドに学校建設プロジェクトのグループを立ち上げ、インドの子どもが教育を受けられるようフリー・ザ・チルドレン・ジャパンのインド学校建設事業に寄付をした経験があります。その寄付によって2016年にインドの村に学校が完成したのですが、それ以来ずっと現地を訪問したいと思っていました。今回、その村を実際に訪問して資金協力をした学校を視察することができましたのでレポートします。

 

学生主体の国際協力グループを設立

僕は大学生時代に世界では学校に行けない子どもたちが存在することを知りました。インドはアジアで1番児童労働者が多い国といわれており、親の借金のために働かされている子どもたちも少なくありません。インドでは義務教育は6〜14歳までで、その間授業料は無償ですが、学校施設の不足、教員の不足、初等教育就学期の子ども40%の中途退学率などといった問題があり、こういった状況が少しでも改善されるようフリー・ザ・チルドレン・ジャパン(FTCJ)と協力してインドに学校を建設するためのプロジェクトチームを立ち上げました。

チームは主に大学生で構成し、メンバーはそれぞれ得意なことを生かして活動しました。例えば、自分の例をあげると、サッカーが大好きだったのでチャリティーサッカー大会を企画し資金調達をしました。また街頭での募金活動、インド料理の販売ブース出展による資金集めなど様々なイベントを通して2012年度、2013年度に渡って、活動しました。大学生のチームメンバーが主となってすすめてきた「インドに学校を建てよう」プロジェクトには、たくさんの方々にご協力頂いたお陰で、目標の175万円が集まり、2014年度からインドで学校建設事業がスタートし、2016年に学校が無事完成されました。

 

集めたお金はヴェルデラ村の学校の教室建設の費用として使われました。観光地としても有名なラジャスタン州にあるウダイプールの街から車で2時間以上離れたところに位置しています。

 

今回2018年の夏に開催されたインドスタディツアーにスタッフとして参加し、実際に学生時代に資金調達をして建設された学校を見学することが出来ました。

 

           

 

   学校を訪問すると学生たちが歓迎して花を首にかけてくれました。

 

学校に通っている学生と記念撮影することが出来ました。

 

 

この学校は小、中等教育一貫校で1年生から12年生までが学校に通っています。学校に新しく教室が建設される前は、

座るところを見つけるのも難しく、黒板を見ることもできず、勉強に集中することができず、そして雨がふると雨漏りがして、雨季には授業を受けることもできませんでした。また職員室もなかったため、子どもたちの個人情報などの書類が雨漏りなどで濡れてしまい保管する場所がなくとても困っていたそうです。

 

 旧校舎

 

 

しかし今回新しく再建された学校は職員室として使われることによって、雨漏りもなく、先生が作業できる場所もできたので、子どもたちの個人情報も安心して保管できるようになりました。

 

 

新しく建設された教室の中は広々としていて

校長先生や学校の先生が作業する場所にもなっています

   

 

学校の先生とも一緒に写真を撮ることが出来ました。子どもたちが安心して学校で授業を受けれるようになって、とても感謝しているとお話ししてくださいました。WE(フリー・ザ・チルドレン)による様々な支援によって、教室の設置、パソコンの導入、衛生的なトイレの設置などが実現され、現在は学生たちの成績が伸び、地域の模範校として注目されている学校にまで成長しています。

 

 

 

まだまだインドの村には学校の数が足りない、設備が整っていない、先生の数が足りない等、沢山の問題を抱えていますが、子どもたちは学校で勉強することが大好きで、沢山の夢を持っています。そんな夢を持った子どもたちの学校の環境の整えることに協力できたことを嬉しく思いました。本当にご寄付や広報など様々なかたちで多くの皆様のご協力なしでは「学校建設プロジェクト」による資金調達達成は出来ませんでした。ご協力して頂いた皆様本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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