ブレスレッドで輝く未来

ブレスレッドは、人を輝かせることができますが、ブレスレッドによって輝きを放てるのは、ブレスレッドを身に着けている人だけではありません。

今回ご紹介するケニアのマサイの女性は、ブレスレッドをつくることで自らの人生と未来を輝かせています。(清田)

https://www.we.org/stories/me-to-we-artisans-profile-mama-toti/

 

 

幾重にも重なったカラフルなマサイのビーズアクセサリーを身に纏い Lorna Saoei Puleiは小さなジェスチャーを混じえて答えます。
 私たちはケニアのカジアド村の彼女の台所に座って、幼い花嫁から一流の起業家に一変した彼女のストーリーを記録しました。きっかけは彼女の名が付いたME to WE ラフィキブレスレットです。
 
彼女を知っている人は、誰もが彼女のことをママ・トチ(トチの母)と呼びます。

トチとは彼女の長女につけられたニックネームでした。
44歳のママ・トチは飼っている山羊が隣の土地に迷い込んでいないか確認するため窓の外を覗きながら絶えず動いています。 彼女の家の横を通り過ぎる近所の人たちに挨拶を返します。

建築中の家の敷地には木材が積み重ねられ、その上に釘やハンマーの入ったバケツが置いてあります。
4人の子どものシングルマザーであるママ・トチは建築中のこの3ベッドルームの家を自分が稼いだお金で建てました。
 
彼女はこの家が自分のものになると想像していませんでした。そして彼女のこれまでの道のりも予想できませんでした。
8歳の時、ママ・トチは一度も会ったことのない年配の男性と結婚しました。そして10年間、彼女は彼から精神的および身体的虐待を受けました。
 彼女の両親がやっとのことで彼女をカジアド村の家に連れ戻した頃には、彼女は教育も職業経験もない10代の母親となっていました。
 両親は彼女のために家族が住む敷地内に伝統的な泥のマニャータの家を建てましたが、幼い兄弟姉妹がいたので、それ以上の援助はできませんでした。
18歳の時、ママ・トチは家族を養うために仕事を始めました。

 

 

ほとんどのマサイと同様、ママ・トチの両親は家畜の乳と肉に頼る牧畜家でした。

しかし、頻繁に起こる干ばつのせいで牧草地が減ってしまったため、この伝統的な生活は絶えず危険にさらされていました。
 父親が病気で亡くなったとき、ママ・トチは自分の子どもたちだけでなく、母親と兄弟姉妹を養うために家に残りました。何も頼れることがなかった彼女は子どもの頃に学んだスキルに目をつけました。 ビーズワークでした。

 

マサイの女性にとって、ビーズワークを学ぶことは通過的儀礼です。
 若い女の子として、ママ・トチは母親が結婚式や家族のお祝いのためのジュエリーを作るのを手伝いました。

おとなの女性として、彼女の手工芸との再会は厳しいものでした。
 彼女は、彼女のビーズのジュエリーを観光客に売ってもらうために最寄りの街の行商人のところまで毎日2時間通い始めました。
しかし、市場は同様の製品であふれ、ママ・トチは収入以上に運搬にお金を費やしてしまいました。彼女の才能はどんどん伸びていましたが、赤字を解消するために手の込んだビーズ細工品を売らざるを得ませんでした。

 

2009年、フリー・ザチルドレンのME to WE Artisansはこのような女性たちを支援するために設立されました。成功するために適切な市場へのルートを必要とする熟練した女性職人たちへの支援です。

 


女性たちは伝統的なデザインの見事なジュエリーやアクセサリーを北米の観光客が好むよう手作りしました。

そして、ME to WEは1点ごとに代金を支払い、職人たちに持続可能な収入と国際的なマーケットを提供しました。これが基盤となりました。
 多くの女性たちは懐疑的で、部外者との約束をなかなか信用しませんでした。

しかしママ・トチは「私にとっては養う子どもたちがいたのでチャンスでした。」と疑う余地はありませんでした。
 彼女はこの契約を最初に受け入れた女性の一人でした、そして、彼女の勇気は後に続く女性たちを奮い立たせました。

 

ママ・トチは最初からME to WEとの仕事が自分の手工芸品を他の行商人に売り込もうとしているようなものではないことが分かっていました。
 その理由の一つには、町への通勤はがなかったからということもありました。
ママ・トチと仲間たちは、ME to WEのコーディネーターの送迎により家から遠く離れた場所に集まり、おなじみの木の木陰で一緒に仕事をしました。
 「おしゃべりをしたり冗談を言い合ったり、ビーズを付けながら歌ったりしていると時間はあっという間に過ぎてしまいます。」と彼女は言います。

 

最初に作るようになったのは「ラフィキ」でした。スワヒリ語で「友人」という意味で、カラフルな一本鎖編みのブレスレットのことです。
それは、ME to WE Artisansを通して手工芸品を提供するケニアの女性たちと、彼女たちを支援する北米の女性たちとの間で生まれた世界的なつながりの象徴となりました。

 

ママ・トチは早くから著しい業績をあげていました。
ほとんどの女性たちは1日平均30個のブレスレットを完成させていましたが、彼女は多い時は70個も完成させました。
 彼女は自分のヤギを持つという長年の夢をかなえるために働いていました。
 安定した供給があれば、子どもたちのために牛乳を買う必要はないでしょう。

ヤギから乳を搾れば良いのですから。そしてこのようにお金をそのまま投資に回せます。
 彼女が予想できなかったことは1つだけでした。彼女の職人としてのスキルとスピードによって最初の給料は、1頭ではなく2頭のヤギを買えるほどの額になりました!

 

ママ・トチの成功のニュースは、すぐにカジアド中に広まりました
村びとたちは、彼女の敷地内の増え続けるヤギや近代的な鉄板の屋根の家など、彼女の成功を直接目にするためにやって来ました。

そんな彼女を見て、多くの女性たちが自身の将来に期待を持つようになりました。こうしてME to WE Artisans は発展し始めました。ラフィキブレスレットは主力製品であり続けましたが、新しく、より複雑なデザインに発展しました。
ママ・トチは自分自身で新しいパターンを学び、他の職人たちのトレーナーになりました。

そして他の仲間たちに作り方の秘訣を教えました。

 

ママ・トチは現在、ヤギが大体35頭いるといいます。
 彼女は子どもたちの教育費を支払うために2、3頭売りました。
 「自分が直面した困難を子どもたちに味あわせたくありません。私は彼らが学校で一生懸命学ぶことを望んでいます。」と彼女は言います。

 

 

ママ・トチの長女Leah Matipe(トチ!というニックネーム)は、2017年、WE Charity(フリー・ザ・チルドレン)によって建設されたマサイマラのキサルニ女子学校を卒業しました。
それ以来、彼女はコンピュータ研究のコースの講習を受けており、現在は入学志願した大学からの返事を待っています。
 彼女の母親は、彼女たち兄弟姉妹に、一生懸命働くことの大切さを教えていたと言います。 「私は母が毎日、私たちの学校や食べ物や衣服に必要なお金のために働くのを見たのでしょう。私は1人ですべてをできるとは信じられませんでした。」
ママ・トチは、子どもたちがいたから頑張ることができたと言います。彼女の2番目の息子は現在10年生、3番目の息子は7年生、一番年少の娘は4年生です。

 

ME to WEは彼女の功績を称え、ブレスレットに名前をつけることでママ・トチのような女性の強さを世に知らせることにしました。
 「私の名前をブレスレットに付けると聞いて泣いてしまいました。」と彼女は言います。

 

ママ・トチ ラフィキブレスレットの販売による収益は、WE Charityのパートナーコミュニティ全体の女性の夢のための資金となります。
ブレスレットは作った職人を支えるだけでなく、女性たちのグループに彼女たち自身のヤギの群れを育て、彼女たちが家族のために欲しい未来を作り出すために資金を供給します。
デザインはママ・トチや仲間の職人たちが最初に始めたものよりも複雑ですが、同じ糸で結ばれています。

 

(原文記事執筆 :セディ・コスゲイ  翻訳:翻訳チームメンバー 文責:清田健介)

 


門出を迎えたケニアの若者が抱く夢

教育は、人の夢や可能性を大きく広げます。
今回ご紹介するのは、高校生活を通じて外科医になる夢を見つけたケニアの若者です。(清田)

 

https://www.we.org/stories/kisaruni-graduation-valedictorian-speech-kenya/

 

 

 


暖かい月曜日の午後、ケニアのナロク郡にあるキサルニ女子学校系列校の校庭で、ミルカ・チェプクルイは心の準備をしていました。

もうすぐ、一緒に卒業する卒業生、先生、親族、寄付者など、大勢の前で卒業式の答辞を述べることになっているのです。ゆったりとしたガウンに黒い帽子をかぶったミルカが開場を横切ると、ガウンが風にはためきます。

頭を高く、マイクを握りしめ、卒業生総代らしからぬミルカが答辞を述べるのです。

 

静まり返った群衆に向かいミルカはこのように始めました。

「キサルニでの日々は、私にとって人生を変える経験でした。ここに来た時、将来に向けて大きな夢は持ってはいるけれど、どうすればいいかわからずオロオロしていた人もいました。けれども、今、自信と達成感にあふれた女性として卒業しようとしています。」

 

その後、緊張のためフラフラしながら、18歳になるこの少女は現実感がないと言いました。

実際、このようなことが現実するとは考えられない状況に彼女はいたのです。

 

ミルカは、ケニアのボメット郡にある小さな町、ソティックで生まれ育ちました。

6人兄弟の5番目で、女の子は2人しかいません。母親のルース・ロノの影響で、本を読むのが好きになりました。

ロノはトウモロコシ農家ですが、小学校を卒業した数少ない女性の一人で、地元の小学校で教師のアルバイトもしていました。ロノはミルカや兄弟たちのためによく本を持ち帰っていました。

 

「『教育をちゃんと受けたから小学校の先生として働けるんだよ』って子どもたちに言ったものです」とロノは言います。

「もっと教育を受けたなら、できることがどれだけ増えるか考えてみて下さい。」ロノは子どもたちに自分よりさらに上を目指してほしかったのです。

 

 

 

これは、ケニアのマサイマラ地区に住む親なら誰もが感じていることです。

ひと世代前には、小学校教育を受けられる人もあまりおらず、そもそもほとんどの人がちゃんとした学校というものに行くことはありませんでした。

もちろん、親ならみな子どもたちに良い教育を受けさせたいと思っています。

問題は、極貧地域で学校を見つけることができないことです。

小学校には、教材や教室が十分にありません。高校も少なく、あったとしても授業料が払えない親が多く、どの子を学校にやるか選ばなければなりません。

家事を担うのが慣習となっている女子は、取り残される傾向にありました。

 

1999年にこの地域でWE Charity(フリー・ザ・チルドレン)が活動するようになってから、小学校と協力して教室を作り、教員を育成し、教材を提供することによって、質の高い初等教育を受ける機会が増えました。

2010年に、WEはナロクにキサルニ女子学校を開校し、女の子が小学校から高校へ行けるチャンスを作りました。

 

その時、ナロク郡の隣接地域にいたミルカは5年生でした。

つまり8年生になって小学校を卒業するために必要となる試験、ケニア初等教育課程修了試験を受けるまで3年を残す頃でした。時期的には早いですが、ミルカはすでに高校に行くことを夢見ていました。しかし、キサルニについてはまだ知りませんでした。

 

ミルカは言います。「学校が大好きでした。見るものすべてに興味がつきず、あらゆるものを学びたかったんです。」

 

 

 

学習意欲は旺盛でしたが、学校を欠席することもありました。

ミルカの両親は、1エーカーの土地から得られる農作物とパートタイム教師としての収入だけで、6人の子供の学費をまかなっていたのです。

 

ケニアの初等教育は無償ですが、それでもなお制服や学用品を買い、受検費の支払いもありました。

また、中等学校は無償ではありません。

ミルカが5年生の時には上の兄弟2人が高校に行っていたので、経済的な重荷はすでに相当なものでした。

世帯収入の多くを兄弟の中等教育費用に割り当てられていたので、ミルカはしばしば試験や学用品の支払いができず学校に通うことができなかったのです。

ロノと夫のジョンは、他の農場でも働いて副収入を得ていましたが、それでも足りませんでした。

欠席した分に追いつくため、ロノは仕事が終わってから子どもたちを教えていました。

 

2014年、ミルカが8年生になるまでに、家族みんなでお金を貯めてなんとかミルカは修了試験を受けることができました。

ミルカは学校でもトップクラスの成績を収めました。学校側はミルカを含めた成績優秀者のためにパーティーを開いてくれました。しかし、ミルカは喜んでばかりはいられませんでした。

 

高校に行く余裕がなかったからです。その頃、ミルカは毎晩のように泣いていたそうです。

 

「試験でも成果を出して、学校に行きたいと思っていたのにいけないなんて、理不尽だと思いました。」

 

友人や親せきに頼むなどして、両親はお金を集めようと何週間も駆けずり回りました。

隣人からキサルニのことを聞いたのはそんな時でした。

 

「希望を持つことさえ怖かった。」とミルカは言います。

「でも、お母さんと一緒に学校へ行き、入学できるかどうか尋ねることにしたのです。」

優秀な成績を収めていたこともあり、ミルカは授業料全額免除の奨学金を得ることができました。

2015年にその奨学金を得た女子はたった44人でした。

 

[キサルニでの日々は、私にとって人生を変える経験でした。]ミルカ・チェプクルイ 卒業生総代

 

 

キサルニの責任者であるジョアン・バサロは、経済が成長、発展していくために最も効果的な方法は女子教育であると信じています。

「教育を受けた女子が、多くの障害を取り払い、貧困と無教育の連鎖を断ち切る鍵となります。」

 

学校に通うことで、女の子たちの夢は更に膨らみます。

 

実際、ミルカは、外科医、それも神経外科医になりたいと思っています。

14歳の時に、ベン・カールソン医師についての記事を読み、医師になることを決めました。

学校の図書館にあった古いリーダーズダイジェスト誌に書かれていたカーソン医師(現在はアメリカの政治家)を目にしたのは、ミルカがキサルニに入学して間もない頃でした。シングルマザーの貧しい家庭に育ったカールソン医師の苦労について読んだことを覚えています。子どもの頃に起こった数々の苦難を乗り越えて、世界的に有名な神経外科医になり、遂にはアメリカの住宅都市開発長官にまで上り詰めた能力に敬服しています。

カールソン医師の話に触発され、ミルカはそれまで以上に努力するようになりました。

 

「まず、毎朝1時間早く起きて予習をし、週末にもっと勉強できる時間をさけるようにしました。」

 

この努力は報われました。ミルカは、高校全国統一試験でB+という成績をとったのです。

この成績なら、十分、政府が全額提供する奨学金で大学に行くことができます。

既に、ケニアにある複数の大学に願書を提出し、そのうちのどこかに今年入学したいと思っています。

高校を卒業するにあたり、ミルカの両親の夢と自己犠牲、彼女の懸命の努力等、すべての経験が目の前の問題に立ち向かう力をくれたと言っています。

 

ミルカは、この地域に女性の神経外科医がいる事など聞いたことがなく、女医第一号になって、女の子だって大きな夢をもてると思わせるような存在になりたいと強く思っています。

 

 

 

ミルカの卒業生総代スピーチ全文:

 

ご来賓のみなさま、先生型、保護者の皆さま、卒業生のみんな、そして在校生のみなさん、こんにちは。

卒業生代表として、わたくしミルカは、今日私たちの卒業を祝福しにここへ来てくださった全ての人に感謝いたします。

 

また、わたくしたちに知識を注ぎ込んでくれた先生方、またキサルニにいる間ずっとサポートしてくれた仲間たちにも感謝したいと思います。

私たちに教育を授けようと支援してくれた両親にも感謝いたします。そして、キサルニに入学して高等教育を受けることを可能にしてくれた出資者、スポンサーの、みなさまに厚く御礼申し上げます。

みなさがいなければ、高校に行けず、今日ここにいるようなエンパワーメントを備えた女性にはなれなかったかもしれません。

 

キサルニでの日々は、人生を変える経験でした。ここに来た時、将来に向けて大きな夢は持ってはいるけれど、どうすればいいかわからずオロオロしていた人もいました。

けれども、今、自信と達成感に溢れた女性として卒業しようとしています。

 

私たちは家族のように共に素晴らしい時間を過ごしてきました。

将来この地域に於ける変革の担い手となれるように、時には互いを刺激し合い、時には知識を共有してきました。

そして今日、私たちは卒業し、この世界において、私たちが変革の担い手になることを約束します。

 

ここにいるみなさんに一番伝えたいことは、どんな困難なことがあろうとも決して夢をあきらめないでということです。

勇気と決意さえあれば夢は叶うからです。ここにいる全員が素晴らしい何かを備えています。

それを見つけさえすれば、内なる可能性を解き放つことができるのです。

 

いま一度、WEの皆さまが私たちの地域に与えて続けていただいているインパクトに感謝いたします。

 

ご清聴ありがとうございました。

 

ミルカ・チェプクルイ
 

2018年12月
 

2018年キサルニ卒業クラス、卒業生総代

 

(原文記事執筆:セディ・コスゲイ 翻訳:翻訳チーム 山田さつき 文責:清田健介)

 

 


ケニアの農村部の女性起業家たち


今回ご紹介するのは、ケニアの女性起業家たちのグループです。

彼女たちは、お互いに支え合いながら、地域や家庭に変革を起こしています。(清田)

https://www.we.org/stories/kenyan-women-build-their-homes-with-financial-literacy-training/

 

 

元炭商人のローズ ・ムタイとTeeh Gaa女性グループの他の15人のママたちが月例集会を開きます。

彼女たちは ナイロビから車で5時間の未舗装道路の先を越えて、フェンスを越え、トウモロコシ畑を通り抜けてホストの家に着きます。
マンダジと呼ばれるチャイやドーナツを通して、女性たちはささやかな貯金を在宅銀行制度の中心であるグループの貯金箱に預け入れます。個人の貯蓄を積み立て、彼女たち自身が起業する際のローンを提供するためです。
 
「これは従来とは異なる考え方です」と、トウモロコシ農家で6人の母親であるローズはこれまでグループがやってきたことを笑いながら説明します。「視野が広がり、自分の小さな土地を耕す以上のことができると気づきました。私は起業できます。」

 

ケニアのナロク郡の農村部の女性たちは長年の夢であった起業のために貯蓄制度を利用します。

この貯蓄システムは、WE(フリー・ザチルドレン)が提供した便利なツールとトレーニングを組み合わせたものです。
 彼女たちは、新米の起業家であり、チャンスの道を切り開き、安定な収入を得る未来を確立するという、ちょっと意味深長な目標を目指します。 

 

女性たちは、互いの夢を支援し、収入を蓄えるために日々切磋琢磨しています。激しい経済的競争は尊重されず、実践もされていません。

 

現在、WEの「収入源の確保」事業は、知識習得に狙いを絞ったコーチングを通じて、ケニアで1,200人を超える女性を支援しています。これまで農村部の農民や若者にスキルと資金を提供していました。(この中には、ME to WE Artisansを通じて追加して雇用された1,400名を超える女性は含まれません。)

 

20の村で、70の女性団体が変化を起こしています。

 

 

2月の会合では、今では立派な起業家となった仕立て屋、店のオーナー、そして山羊飼いらが毎月預恒例の金(100〜500シリング)をしました。書記が会計帳簿にそれぞれの金額を記録していました。
この起業家として欠かせない儀式は、WEの金融リテラシーとリーダーシップ研修から学びました。

 

今やグループの鶏生産者であるローズは、彼女がひそかにに貯めていた数百シリングを追加して預金しました。

彼女は2017年の初めに購入した14羽の鶏のローンをほぼ返済しました。

 

ローズが2013年にTeeh Gaa(キプシギス語であなたの家を建てる)を設立したとき、彼女やその仲間は、普通の家庭の問題を解決することを決めました。

彼女たちは家来客のための十分なカップや皿を持っていないという問題を抱えていました。

 

「来客があるときは、他のママたちにカップや皿を貸してくださいとお願いに行きます」とローズ氏は説明します。
 「そんな状態が持続する訳がありませんでした。私たちはお互いに皿やカップを借り続けることはできません。 自分たちのものが必要です。」

 

Teeh Gaaグループは、食器棚に食器を追加するためのメリーゴーランドシステムを確立しました。
 「私たちは考えました。毎月1人の人に対して何かをするグループを始めたら、どんな変化が生まれるだろうと。」

 

ママたちは毎月少しずつ(カップとプレートは地元の市場でそれぞれ20シリング)貯金しました。村びとリクエストされた品を購入して、各家庭に届けに行きました。

一年も経たずにローズは、ディナー皿のフルセットを手に入れました。

 

 

 

その後、グループの活動は行き詰まりました。

女性たちは、村の新米ママ赤ちゃんが生まれたときに贈り物をするためのお金と食料と水を貯めていたので、新米ママは外出する必要はありませんでした。

しかし、他のものを自分で購入する余裕はありませんでした。

 

「カップとお皿- それが私たちが今までにしたことのすべてです」とローズは言います。

 

グループの設立から2年、その可能性はまだ未開のまま、WEは彼らが復興を手助けしていた村の小学校でプレゼンテーションを行いました。
WEの担当者は、集まった両親が財務管理、予算編成、リーダーシップスキル、さらにもっと学びたいかどうかを尋ねました。
 「Nilifurahi sana,」Roseはスワヒリ語でそう言って、思い出し笑いをします。 「私はとても幸せでした。 『どうぞ、私たちのグループに入って、WEのみなさんで私たちを助けてい下さい』と私たちは言いました。」

 

それは予算編成から始まり、毎月出入りするお金の管理方法を学びます。彼女たちは女性が毎月預金できる金額について議論しました。
 次に、ローンについて学びました。ローンを返済するための期間や決められた金利で(利子は全てグループの貯金箱に戻って、再投資の準備金にします)、集められた資金がどのようにして互いの夢に貸し付けるのかを学びました。
 
会長、書記、会計の選出後、彼女たちは立ち上げの資金で取り組むべきことを決めました。

毎月の会合は、基金へのアクセスの増加とともに、重要な意味を持ちましたが、常に女性たちが女性を対象に「家(生計を建てる」ことを支援していました。
簡単ではありませんでした。女性たちはこれまでそのようなシステム化された方法でお金を貸したことがなく、誰も借りたまま逃げないと信じる必要がありました。
さらに困難なことがありました。ローズは言います。当初の数ヶ月間は貸し付けるにはまだ十分な額ではなく、会計係がしっかり鍵をかけて厳重に「貯金箱」に保管していたことも知っています。しかし、上手くいかないかしれないということを承知のうえでやっていました。

 

 

 

ローズは、鶏舎を経営して、卵と鶏を売ったお金で子どもたちの学費を払い、家で6人の子どもの世話をしたいと考えました。

若い母親にとって炭の売買をしてお金を稼ぐよりも都合が良かったのです。

 

彼女と夫は農家なので可能なときは、トウモロコシを売って補います。
 
彼女の子どもたちは砂糖なしで紅茶を飲むのが当たり前でした。

ケニアで小学校は義務教育ですが、親たちはPTAによって雇われた教師のために維持費、修理費、そして時には給料を支払っています。
 納入金の額はさまざまですが、小規模農家にとっては、学期あたり平均400シリングでさえ払えない場合があります。

それから、制服や教科書、学用品など、高校は1学期数千シリングかかります。

 

10年近くもの間、ローズは週2回午前4時に家を出て7時間かけてメケニュまで歩いていました。

メケニュでは、女性たちは安く炭を買って村の近くで売っていました。
ローズは午前11時から午後4時まで炭を集め、袋2つを山盛りにしてロバに乗せて7時間かけて歩いて帰宅しました。
1日19時間労働が当たり前でした。彼女が説明するように、「成長する子どもたちを学校に行かせるために学費を稼がなければなりませんでした。」

 

WEから財務や起業に関する知識を得て、ローズは2016年に鶏舎の金網を購入するためのローンを組みました。
 他のグループのメンバーは、山羊や牛の購入、縫製事業を始めるためにローンを組みました。
ローズは屋外全域に広がるであろう羊の群れが鶏に近づかないように金網で周囲を保護し、十分な広さの木の小屋を作りました。

彼女は週に2回、学費、貯蓄、そしてローンの返済のためにお金を使って炭を集め続けました。

 

 

2017年に、ローズは最初のローンを返済した後、14羽の鶏を購入するために別のローンを組みました。

彼女はさらに14羽買うためにトウモロコシを売りました。

 鶏舎経営に本格的に参入したローズは、起業の成功に必要な時間とエネルギーを注ぐために炭を購入するのをやめました。
 現在、彼女の家に来た近所の人たちに卵を売っています。家には庭じゅうを駆け回るにわとりの雛がいます。いつでも売ることができます。
 学費、貯蓄、そしてローンの返済には十分です。ローズは誇らしげに所有地を案内します。

 

「私は自分の家を改修したい、家を建てたいと思いました。」とローズはいいます。

「[Teeh Gaa]は家を建てることを意味しますが、私たちは物理的に家を建てることを意味していませんでした。」
 彼女は身振り手振りで皆に合図します。にわとり、新たに加わった玄関前で草を食べている牛、まもなく学校から帰ってくる子どもたちにチャンスを実際に行動に移すことが夢を実現させるきっかけとなります。
 
「私たちが始めたとき、全員が『家を建てる』つもりだと言いました。だから村の仲間が私たちに続いて行動する姿を見るととても幸せな気持ちになります。」

 

(原文記事執筆 :ワンダ・オブライエン 翻訳:翻訳チームメンバー 文責:清田健介)


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