一頭のヤギと、一人の村人がハイチで起こした大きなチェンジ

世界や地域を変える行動には、いろんなパターンがあると

思います。一人の行動がきっかけだったり、大勢の行動が

きっかけだったり。場合によっては動物が変化を起こすこと

もあるかも。今回はハイチで変化を起こした村人とヤギを紹

介します。(清田)
 

https://www.we.org/stories/gift-of-a-goat-provides-income-and-education-in-haiti/

 


Pierre Oleusは、そのヤギの飼い主であり善き父親です。
 

彼は、ハイチのMarialapa村というところで週ごとに結集す

る親たちのグループGranmoun Tèt Nouの会合では、紹介

を要しません。この72歳の男性によってこのループは成り

立っているのです。
 「Pierreのヤギ」が、このグループを触発したのです。厳密

に言うと、このヤギは、村に学校を建設したWE(フリー・ザ・

チルドレン)への彼からの贈り物でした。当時の彼は、この

ヤギが親たちのグループを刺激し、100人以上の住民の生

活を改善することになろうとは思っていませんでした。ただ、

学校建設に対して感謝を示したかっただけのです。
 

2010年、ハイチで起きた壊滅的な地震の後、WEは、中央

部Hinche地域で、内陸部に焦点を当てて、この国での支

援を倍増させました。内陸部の県での人口は、この自然

災害後に増加し、学校の必要性が、以前よりさらに高ま

ったのです。
 

ハイチ、Marialapa村には、校舎がなく、12人の生徒は、

ヤシの葉と木の枝でできた粗末な教室で授業を受けて

いました。WEは、テントを提供しましたが、そのことで生

徒数は一気に96人に増えてしまいました。この生徒数の

急増は、この村が、どれほど教育の機会を望んでいたか

を端的に示すものでした。
 

Pierreは、やる気の塊でした。この村のリーダーである

Pierreは、たとえ小学校一年生程度しか教育を受けて

いなかったとしても、13人の子どもの父親である彼は、

自分自身の子を含めて、村の子ども達の教育環境がも

っと良くなるように望んでいました。WEが村の学校建設

に関わった時、Pierreは、WEにヤギを一頭贈ることを約

束しました。それは、村からの感謝の意を表すためで、数

ヶ月分のたくわえを要したであろう、たいした贈り物でした。
 

Pierreは、その言葉どおり、2014年の学校開校式の席上

で、1頭のヤギをWEのスタッフにプレゼントしたのです。

WEは、Pierreがこのヤギの世話を続けて欲しいというお

願いをして、ありがたくこの名誉を受け入れました。彼は、

そのWEからの依頼を快諾したのです。
 

しかし、半年も経たない内に、Pierreは、新たな展開に

出くわしました。、そのヤギが子を産んだのです。さら

に、それから何度も子を生んだのです。
 

 

Pierreとその妻Lericeは、WEと会合を持って、子ヤギたち

をこれからどうするか話し合いました。「『自分が、あなた方

のヤギを育てます。なんの問題もありません。』と伝えたの

を覚えています。一方、『私には手助けしたい子どもが一人

います』と、スタッフに伝えたのを覚えています。」Pierreはこ

うふりかえります新しい学校への生徒の登録は、350人以上

に増えました。しかし、Pierreを含めて、親たちは、子どもたち

を学校へ通わせるのに四苦八苦していました。というのは、彼

らには、学費を払う余裕がなかったからです。
 

WEは、支援を引き受けましたが、さらに、もう一押しをしま

した。他の親たちにも、自分たちの子どもを学校へ通わせ

る余裕ができるようにするための、ある提案をPierreに持ち

かけました。
 

まず、Pierreには、WEのヤギのオーナーになってもらい、

ヤギを売ってそのお金で授業料を支払うことを許可しまし

た。しかし、その前に、授業料支払いに悩んでいる村人に、

健康な雌ヤギを贈与して欲しいとお願いしました。ヤギを贈

与する対象者を選定する際のルールは次の3つでした。1.

自分の子どもが、学校に登録済みであること。2.18ヶ月間

の家畜の飼育訓練プログラムに参加すること。3.自分のヤ

ギから最初の雌子ヤギが産まれた際は、別のふさわしい村

人に与えることに同意すること。
 

こうして、Granmoun Tèt Nouというグループが誕生しました。
 

クレオール語で、この名称は「私たちおとなの分別」という意

味です。Pierreは、これを「自立」と説明しました。つまり、子

どもたちのために必要な、親たちの経済的自立です。
 

Pierreは言います。「これは、私たちが、自分たちの尊厳を

持って生きようという決意をかたちにしたグループです。私

たちはおとなではありますが、経済的な自立を成し遂げる

ことでこそ、私たちは本当のおとなになれえます。つまり、

私たちは、子ども達に必要な物を与えることができますし、

彼らの面倒を見てやれます。」
 

今、Marialapaで11ある親のグループの活動に弾みをつけ

るために、何頭かのヤギが購入されています。会員は、必

ず最初に生まれた子ヤギを、その会に返し、会の裁量で分

配したり、売ったりします。それぞれの会員は、自分たちの

群を育て、必要な時に、その後生まれた子ヤギを売って収

入を得ることができます。これらの結集グループは、ハイチ

で計画中のWEの「収入源確保」活動の要になっています

が、収入源の確保にとどまらない成果を挙げています。


 家畜の飼育訓練に加えて、18ヶ月プログラムが公式

のものとなり、コミュニケーションスキル、リーダーシッ

プ、問題が発生した際の解決法を教えてくれます。ヤ

ギを受け取ることが、受講の一番の目標ですが、もう

一つ、大事な要素は、このプログラムの終了時に執り

行われる卒業式です。親たちは、子どもたちの卒業式

には思いをはせていますが、まさか自分たちに卒業式

が待っているなんて夢にも思っていません。

 

 

 これは、親の一人Sourine Ciceronも同様です。彼女は、

Dos Palais出身のシングルマザーです。ここは、Granmoun

Tèt Nouのプログラムを始めた二番目の村です。彼女の16

歳の娘Nadiaは、学校でこのプログラムのことを聞きました。

Nadiaは、それを将来の教育を保証してくれる機会と捉えまし

た。というのは、自分の家の経済的な大変さが分かっていた

からです。母Sourineは、正規の学校教育や研修を受けたこ

とのない人でしたが、すぐにこのプログラムに申しこみました。
 

[私をやる気にしてくれるのは、希望です。ヤギがお金を産み、

それが、収入になります。その収入は、子ども達の学費の支払

いに充てられます私はヤギに希望を見ました]この5人の子を持

つ母親は話します。
 

Sourineは、会合を欠席したことは一度もありませんでした

し、卒業式ではずっとほほえんでいました。
 

娘Nadiaも同じ思いです。「私は、母のことを誇りに思いまし

た。このプログラムに参加したきっかけを作ったのは私でし

たし。私は学校に行かせてもらいました。それでこのプログ

ラムについて知ることもできましたし。それから、母は、研修

のすべてをやり通して、卒業を迎えることができました。]

 

Sourineのヤギは、また妊娠しています。彼女は、子ヤギ

をNadiaの授業料を確保するために売ろうと思っています。

「私の心は幸せ一杯です」とNadiaは言っています。
 

一頭のヤギの贈り物が、たくさんのことをなしています。そ

の贈り物は、Granmoun Tèt Nou,のような収入原を産みだ

す事業の誕生つながりました。WEは現在、この事業を全

世界の支援地域で展開予定です。この事業は、子どもた

ちの将来を守るための「経済的自立」を与えてくれるでしょう。
 

「今日の生活が明日より良くなる」という確信があります。こ

のことが、私に明日への希望を与えてくれています。Sourin

eはその希望を、娘に伝えています。

 

(原文記事執筆:ワンダ・オブライエン  翻訳:翻訳チーム 

山下正隆 文責:清田健介)

 


「道なき道」にそびえ立つ学校

人里離れたハイチのマナク村。道路も市場もありません。で

も人里離れたこの村に、生徒や教師など、多くの人が放つ輝

きで満ち溢れている学校があります。(清田)

https://www.we.org/stories/education-comes-to-rural-haiti/

 

モスリンは一際目立つ5年生です。成績のため?それもそ

うですが、それ以上に彼女の信念のために。彼女は19歳です。

 

彼女は家庭の経済的事情で、何年も学校への入学、退学を

繰り返しています。

 

「おばあちゃん」とクラスメートからからかわれても、そのこと

を気にする様子はありません。

 

モスリンはハイチのキャンパスのマンゴーの木陰に座り、教

育の必要性を私に説きます。「教育を受けなければ、人とし

て存在していないのと同じです。」彼女は言います。「人が受

け取ることのできる最も価値のある資産、それは学校教育です。」

 

モスリンと彼女の8人の兄弟は、ハイチの山奥の丘にたた

ずむマナクという村で育ちました。ここへの道路のアクセス

はありません。市場もありません。診療所もありません。し

かし、学校があります。

 

この学校に行くために教師たちはハイキングをします。3時

間、1本道、舗装されていない細い道を登ったり下ったり、曲

がった岩棚、曲がった緑の草の台地。3時間!1本道!熱心

な教育者たちは、日曜日の夜遅くか月曜日の朝早くに行進し

ます。そして学校のそばの宿泊施設に滞在し、学校が終わる

金曜日に帰省するためのハイキングをします。

 

WEビレッジ(フリー・ザ・チルドレン)がこのような人里離れた

山奥の学校を再建したと最初に聞いたとき、私は不思議に

思いました。「教師たちはどのようにして通うのか?」「誰が

務めるのか?」

 

その答えを見つけるために教師たちの足跡をたどりました。

 

週半ばの夜明け、私はハイチの同僚とともにロバと並んで

通れるくらいの幅の泥だらけの道を出発しました。豆の苗

を7度の角度で植えている農夫たちの横を過ぎ、炭の荷を

町の市場へと運ぶロバの一列縦隊の横を通り過ぎました。

 

8キロ以上歩いた3時間後、地面は水平になりました。そし

て角を曲がったところに、明るい色で塗られた建物が、青

々とした田園風景の中から現れました。そこでは青と白の

ワイシャツを着た子どもたちがかけっこをしていました。風

や鳥の歌声が子どもたちのおしゃべりや教師たちの声に

変わりました。

 

 

外から来た者にとってそれは何もないところにひょっこり現

れたように感じました。でも、それは、紛れもなく、モスリン

の母校です。

「私は、本当だったらとっくの昔に卒業してなきゃいけないん

です。」モスリンは淡々と話します。学年がはるかに遅れてい

ることについて嘆いてはいません。「家から歩いて通える距離

の学校があるのだから、恵まれている」と言います。彼女のお

母さんは学校には行きませんでした。そして、お父さんは5年

生までしか行きませんでした。ですから、家族の中では、モス

リンが最も「高学歴」ですが、それを当然だとは思っていません。

 

農家である父親がモスリンの学費を払う余裕がなかった時

は、彼女は自ら考えて行動を起こしました。家にあった少し

のお金でクッキーやキャンディを買い、間に合わせのコンビ

ニエンスストアをつくりました。そしてそれらを売って制服代

にしました。

 

モスリンの教室は明るい紫色に塗られています。生徒たち

が選んだ色です。すぐ隣の教室はにぎやかな4年生にふさ

わしい派手なオレンジ色です。教室の上の屋根はコンクリ

ートの石で造られ隣の教室の屋根とひとつづきになっています。

私たちが着いたときには、新しい教室の建築資材はWE

ビレッジ のチームのメンバー、マナク村の子どもたちの

お母さんやお父さん、働き物のロバたちによって丘の上

まで運ばれていました。

 

WE ビレッジがマナク村とパートナーを組む前は、全てのク

ラスが一つの長細いごちゃごちゃした木造の建物の中で学

んでいました。4年生担当のプレセンデュ ・ジルナー先生が

説明します。学年は1枚の布で仕切られ、それぞれの学年

の授業の声がお互いの声をかき消していました。また、教

師の数が足りていなかったため親たちは子どもたちを学校

に行かせようとしませんでした。

 

 

「今は子どもたちは快適に座ることが出来ます。教室に詰

めこまれていません。」と彼は言います。「親たちは子ども

たちを気持ちよくここに送りだします。彼らは尊敬と誇りの

気持ちを持って子どもたちをここに通わせます。」

 

一流の教室がある新しい学校は、マナク村以外の地域

に住むに住む生徒たちも惹きつけました。さらにきちん

とした資格を持つ高いスキルを持つ教師たちも、生徒た

ちと同じく新しい学校に惹きつけられ、この学校での仕事

を引き受けました。

 

ジルナーは、「はるばる泥だらけの道を通って良く来て下さ

いました!」と私にお礼を言います。私は感謝される理由が

ないので思わず苦笑いして返してしまったのですが、ジルナ

ーは真剣な顔で、両手で握手を求めます。「ここに人が訪ね

てくることはめったにありません。我々がここで話したことを、

記事にして発信してもらえることがどれだけ心強いか…」彼

はそう言って にこやかに微笑みます。そして希望に満ちた

ように両腕を広げて上に上げます。

 

可能性、どんなことでも可能であるという感覚が、まるで地

平線が丘につながるように無限に広がっています。決して

諦めない19歳の生徒は、その象徴です。彼女と彼女のす

べての仲間の同級生のために、この道なき道にそびえた

つ学校は存在しなければならないのです。

 

(原文記事執筆 :ワンダ・オブライエン 翻訳:翻訳チーム

 文責:清田健介)

 

 


ハイチの青年の夢

5年前の2010年に大地震がハイチを襲い、約22万人もの人々が亡くなりました。その地震直後から、フリー・ザ・チルドレンでは、ハイチに緊急支援を行い現在でも復興に向けた貧困地域の人々が自立できるよう支援活動を行っています。
 
今回は、2012年にフリー・ザ・チルドレンがマリアラパのコミュニティに建設した学校に通うようになった青年の紹介です。

ハイチの青年
 
カルロ・ジョセフは、20歳の学ぶことが大好きな笑顔が素敵な青年です。
彼は、ハイチの中央高原にある小さな村で生まれ育ち、今はフリー・ザ・チルドレンがマリアラパというコミュニティに建てた学校に通っています。

カルロが学校に行き始めるようになったのは最近で、というのも、フリー・ザ・チルドレンの学校が建設されるまで彼が育った村には学校が一つもなかったため、学校に通うことができていませんでした。しかし、学校で勉強を学ぶようになり、カルロはその才能を開花させ、マリアラパのコミュニティで一番良い成績をおさめました。

 
カルロの好きな科目は数学と化学です。学校を卒業したら、エンジニアになるのが彼の夢です。カルロの家族はとても貧しいため、カルロが学校を終了し、その学歴を活かして安定した職に就くことができれば、彼が家族を支え、貧困から抜け出すことができると、彼はその将来と家族に希望を見出しています。

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