チェンジメーカーとなった娘から、母親が学んだこと

WE Dayのスピーカーとして活躍する、アシュレー・マーフィ

ー。今回はそんなアシュレーを支える、ご家族をご紹介しま

す!(清田)
 

https://www.we.org/stories/mother-of-ten-kari-murphy-shares-mothers-day-lessons-from-daughter/


カーリー・マーフィーは、生後9カ月だったアシュレーを、養

子として迎えました。3.6kgしかなかったアシュレーは、1か

月の余命宣告を受けました。

 

そんなアシュレーも、現在は19歳。両親から、絶え間ない

愛や優しさを受けて育ったアシュレーは、幼い頃から、カ

ーリーから愛や優しさの大切さを教わっていました。

 

思いやりを持って生きるというアシュレーの信念はWE(旧フ

リー・ザ・チルドレン・カナダ)の活動によってさらに強められ

ていきました。アシュレーは12歳の時にWe Dayに参加しま

した。そこでクレイグとマークがステージに上りライトを浴び

た瞬間、アシュリーは、いつか自分もこのイベントで話をしよ

うと決意しました。大勢の人の前に立って、自分の経験を共

有している姿を思い描いたのです。実は、アシュレーは、HIV

を抱えて生きています。(HIVを抱えて生きている人はたくさん

います。特別なことではありません。) しかし、そのようなバッ

クグラウンドを理由に自信を失うようなことはなく、アシュレー

は夢を抱き続けました。

 

アシュレーが、WEに連絡を取りたいという話をカーリー

に話を持ちかけた時、カーリーは四肢麻痺性の息子パ

トリックの世話にかかりっきりでした。カーリーは様々な

障害や病気を抱える10人の子どもたちの母親だったの

です。パトリックはその後2年間通院が続く予定だったの

で、カーリーはアシュレーに、「今は何もできないのよ」と

答え続けていました。

 

それでも、アシュレーは頻繁に、WEに関わらせてほしいと

頼み続けました。「ねえ、そろそろWEにメール送ってくれな

い?おかあさーん!」と。そんなやりとりを続けて三年が過

ぎたころ、カーリーは、アシュレーのためにWEにメールを送

ることにしたのです。

 

16歳になったアシュレーはオーディションを受けるとすぐに

WEから依頼を受け、WEで話すという夢を叶えました。カー

リーはとても不安だったので同行して北米を渡り歩きました。

そして、偏見と闘う、HIVを抱えた大勢の若者の想いを背負っ

て、人前で話す姿を見守っていました。

 

アシュレーがWEで話すようになってからまもなく、カーリー

は、アシュレーが大勢の人々と関わる中で、多くに人に影

響を与え、アシュレー自身も変わっていく様子を目の当た

りにしました。アシュレーはありのままの自分を受け入れ、

勇気をもって自分を表現し続けていくようになったのです。

そして2人はさらに活動に力を入れるようになりました。

 

当時のことをカーリーはこう振り返ります。「何事にも恐れず

に突き進んでいくアシュレーの姿に私は突き動かされたのだ

と思います。様々なことを経験して成長したアシュレーは、あ

るとき悟ったように、『学校とかで誰に何を言われようが、今

のわたしは、わたしがやるべきことをやっているのよ』と言っ

たのです。」

 

カーリーはー母親として大きな愛を与えて、娘の人生を輝

かせました。一方で、娘から「広い視野を持って勇気をもっ

て行動すること」の価値を教わったのです。アシュレーの自

尊心が高まっていく過程を見ていたカーリーは、以前にも増

してアシュレーに協力するようになり、2人の絆も深まってい

きました。

 

カーリーはこう話します。「娘がWE Dayのツアーに参加す

るまでは、私はここを離れたくなかったですし、子どもたち

の世話を他人に頼むこともできませんでした。か弱い子ど

もたちを、他の人に預けるということに後ろめたさがあった

んです。しかし、アシュレーの姿をずっと見てきて、前に進

むためには、新しい一歩を踏み出すことが重要だと思うよ

うになりました。私自身もね。」

 

行く先々で、満席のWE Dayの会場に立つ娘の姿を見てカー

リーは教えられたと言います。

 

「『絶望の底にいて、もうこれ以上進めないと思っても、掘り

進めてみること。そこには希望がある。』ということを、アシュ

レーから教わりました。」

 

アシュレーは、母親から受け継いだボランティア精神によっ

てWEに繋がり、それは彼女の人生の一部になりました。ま

た、他の9人の子どもたちもそれぞれに、母親のボランティ

ア精神を引き継いでいます。家族全員で、誰しもが人の役

に立つ力を持っているということを証明しています。「四肢

麻痺であろうと、視覚障害者であろうと、関係ありません。

身体障害や発達障害など、どんな病気や障害があったと

しても、ひとりひとりにできることはあるのです。」とカーリ

ーは言います。

 

アシュレーに思いやりの心を教えたのは母親のカーリーか

もしれません。しかし、アシュレーの行動はカーリーに、人と

して大切な教訓を示しました。カーリーは言います。「彼女は

学校での講演で得た報酬を全て寄付に充てています。有名

ブランドの洋服を買ったり、友達とスキーに行ったり、そんな

ことをするような収入には一切なりません。私たちの家庭も、

それほど裕福であるとはいえません。それでも、彼女は得た報酬を

全てを寄付するのです。もし自分だったらあの年齢でそんなことはで

きなかったと思います。」

 

アシュレーは、「カナダの輝く未来に貢献するであろう、素晴

らしきカナダ人50人」に選出されました。アシュレーは母親を

手本に、しっかりと自分の道を歩んでいます。「母が私たちに

教えてくれたことは、常に人の役に立つこと、自分自身に正直

であること、信念を持つこと、そして、いつも前向きな考えを持

つことです。」母親について尋ねられて彼女は力強くこう答えま

した。

 

おまけ

 

アシュレーへのインタビュー(過去記事)

 

http://ftcj.jugem.jp/?eid=1631

 

(原文記事執筆:サラ・フォックス  翻訳:翻訳チーム  藤井優美 文責:清田健介)

 

 

「『絶望の底にいて、もうこれ以上進めないと思っても、掘り進めてみること。そこには希望がある。』ということを、アシュレーから教わりました。」
 

 


リバーウォッチャーからの、「水に優ししい生活」のススメ

いよいよ、夏本番!川遊びも楽しい季節です。そんな季節にちなみ、今回はカナダのオタワ川のリバーウォッチャーをご紹介します!(清田)

 

https://www.we.org/stories/environmental-change-maker-and-ottawa-riverkeeper-volunteer-shares-earth-day-tips/

 

「川」とは、ある人にとって週末のキャンプ場かもしれないし

、ある人にとっては散歩道だったり、またある人にとっては

読書する場所かもしれません。パトリシア・テイトのように川

の流れを見ているだけで幸せを感じる人々にとって、川は

「我が家」であり、それを守りたという熱い想いが心の中に

流れています。

 

パトリシアは、オタワ・リバーキーパーという団体に所属し、

ボランティアのリバーウォッチャーをしています。オタワ・リバ

ーキーパーは、世界中の河川流域保護団体を繋げて水の保

全と保護を行う「ウォーターキーパー・アライアンス(水の守り

人連合)」の認可を受けた団体です。団体の活動目的は、オ

タワ川を守り、泳げて、飲めて、魚が捕状できる態を保全する

ことにあります。

 

30年以上オタワ川流域で生活してきたパトリシアにとって、

川との関係は切っても切れないものとなっています。その始

まりは彼女が子供の頃に遡ります。「本当の意味でオタワ

川に出会ったのは、ケベック州側にある美しいビーチ、ノル

ウェイ・ベイに行った時でした。そこにコテージを持っていま

した。6歳ぐらいのとき、泳ぎを教わったのを覚えています。」

 

このほのぼのとした川との出会いが、やがて川と川がもたら

す全てのものへの深い愛情と感謝の気持ちへと変わりました。

現在、パトリシアは幼少期の思い出の場所より上流に引っ越し、

できるだけ川の上で過ごすようにしています。「運動のためにほと

んど毎日カヌーやカヤックに乗っています。孫を連れて行ったり、

夕日を見に行ったり、湾の近くに巣作りしているハクトウワシやミ

サゴの様子を見に行くこともあります。」

 

休息や気晴らしはもとより、実用面においても、オタワ川は

オンタリオに住む人々の生活に欠かせないものです。交通

手段としても使われるオタワ川は、近隣の友人を訪問する

際にはパトリシアのお気に入りの「道」となります。

 

水を愛する人として、パトリシアは自然にオタワ・リバーキーパーに興味を持つように

なりました。オタワ・リバーキーパーの信念は、「川を使うなら、川を不当に扱うべきで

はない」ということです。パトリシアもこれ共感し、通常の河川保護活動に加え、川の

温度と濁り度を測定する調査をオタワ川の3つの異なる地域において行うことにしました。

 

川の上で自然を謳歌したり、リバーキーパーとして働いてい

ない時、パトリシアは水環境の改善を訴える活動をしていま

す。定期的に聴衆の前に立ち、オタワ川が1200キロにわた

って分水界の役割を果たしていることを話しています。2014

年、市は彼女の講演活動と実地活動をたたえ、自然保護活

動家としてシティ・ビルダー賞を授与しました。

 

パトリシアを突き動かしているのは、将来への不安です。若い

世代が彼女の後を引き継ぎ、川のウォッチャーとして、提唱者

として、保護活動家として独自のレガシーを残して欲しいと願っ

ています。

 

変わりゆく故郷の自然環境を見てきたからこそ、未来に対

して責任があるのです。パトリシアは愛するオタワ川の状

態がいい時も悪い時もずっと見てきました。激しい雨で下

水施設から汚水が溢れだして川の温度を変えてしまい、

大量のナマズが死んでしまったこともありました。その一

方、いい時にはコケムシと呼ばれる水生生物を見つける

こともあります。「コケムシがいるということは水質が安定していると

いうことを示しています。コケムシはとても敏感で、汚染された水の

中では生き残ることはできないのです。」

 

パトリシアはこのような思い出を楽観的に捉えていますが、

オタワ川に依存する野生動植物を脅威に晒す様々な問題

があることもわかっています。人工的に作られた岸辺、マイ

クロプラスチック、外来種等も問題ですが、最も彼女が気に

かけているのは放射性廃棄物をオタワ川の川岸に廃棄する

という計画が水面下で提案されていることです。

 

「その計画が進めば、2018年初頭から建設が始まります。

汚染物質の漏洩は、オタワ川に住む水生生物、そして何百

万人というカナダ人の飲料水に壊滅的被害をもたらすことに

なるでしょう。」

 

パトリシアは故郷の川を保全することにより、地球全体の環境に大

きなインパクトを与えることができると信じています。「世界中が問題

を抱えているからこそ地域で活動するのです。みんなが地域の問題

を解決すれば、地球全体がよくなるでしょう。」

 

地球のことを考えながら、地域で活動して変化を起こすに

はどうすればいいでしょうか?パトリシアのアドバイスをご

紹介しましょう。

水に優しい生活: パトリシアから5つのヒント
 

1. ペットボトルの水を買わない
 

プラスチック、特にマイクロプラスチックを含有する製品には

気を付けてください。なかなか難しいことですが、水筒を購入

して可能な限りペットボトルの使用をやめましょう。プラスチッ

ク製品は我々の生活の一部になっていますが、安いプラスチ

ック製品はひどいものです。人々はプラスチックを求めていま

す。しかし、プラスチックは壊れた果てに海に蓄積されるのです。
 
2. 庭には在来植物を植えよう

 

外来種が周囲の環境に与える影響を直に見てきました。庭

に知らない植物、つまりその地域には元々なかった植物を

植えて飾り立て、結局は周囲の生態系に影響を与えている

のです。園芸用品店に相談して、その土地の在来植物を見

つけましょう。在来植物はお手入れも簡単です。

 

3. 雨の庭(レイン・ガーデン)を作ろう
 

庭の中で低地になっている場所、または家および浄化槽か

ら3メートル以上離れている芝生部分に在来植物を植えまし

ょう。その場所は、日光がよく当たる場所または半日陰であ

る事、水捌けがよい事を確認しましょう。浸透試験をすれば

確かめることができます。穴を掘って水を入れてみてくださ

い。水捌けがよければ、水面に泡が現れます。排水速度が

遅いほど、窪地は深くしなければなりません。通常、8〜28

インチほどの深さになります。

 

4. ゴミを拾いながら歩こう
 

雨水利用装置などを作る庭がない場合、路上のごみの量

に注目してみてください。誰にでも簡単にできる事が見つ

かります。人通りの多い通りには排水溝があります。排水

溝の周囲にゴミがあると、いつかそれが下水溝に入り、下

水処理施設に流れ着きます。そこで処理されるにしろされ

ないにしろ、どちらにしても川に影響を与えるのです。

 

5. 川にふさわしくないと思ったものは報告しよう。
 

誰でもみんな、ウォーターウォッチャーになることができま

す。友達を集めて、入江や川、池のほとりを歩いてみましょ

う。場違いに思えるものや自分なら捨てないというモノが水

の中にあれば、報告しましょう。

 

 

 

(原文記事執筆:サラ・フォックス  翻訳:翻訳チーム 山田さつき  文責:清田健介)

 

 

 


「どうすれば良いの?」:インドで児童労働に遭遇し、葛藤を抱えたジャーナリストの手記

今回の「世界のWEニュース」では、WEでアソシエイトディレ

クターを務めるジャーナリストの手記を紹介します。

https://www.we.org/stories/fight-flight-face-face-child-labour-india/

 

インド、ウダイプルの旧市街―アツアツのジャレビ(訳注:小

麦粉と水をこねてプレッツェル状にし、油で揚げシロップ漬け

にしたもの)の屋台を通り過ぎ、装飾をつけた牛をよけながら

石畳の路地を歩いていて、ある光景を目にしたとき、私は足を

止めました。児童労働を目の当たりにしたとき、あなたならどう

しますか?

 

私は今、旧市街のある狭い路地に立っています。たき火や

脂っこい屋台めし、甘いジャレビやスパイシーなベルプリ(

訳注:インドの屋台めしの一種で辛みをきかせた軽食)の

匂いがしています。路上では荷運びのロバ、モペッド(訳

注:エンジン付き自転車)、野犬、ひっきりなしにクラクショ

ンを鳴らすトゥクトゥクが次から次に通り過ぎていきます。

両側には小さな露店が並び、天幕から垂れ下がる柄入り

のショールと風に揺れる暖簾が通りを縁取っています。寺

院の壁に描かれた、色あせたヒンドゥー教の神々が旅行

者を歓迎してくれます。

 

私にとって今回が初めてのインド訪問です。既に数日間滞

在していましたが、街中を散策するのはこのウダイプルが

初めてです。農村で過ごした週は、スタディーツアーの参

加者のみなさんと一緒で、地元の女性たちとチャパティを

作ったりしました。女性たちは私たちの力作(は出来が良

くなかったようで…)に、まるで「これどうしよう?」と子ども

たちに言わんばかりのしぐさで、やんわりとダメ出しされて

しまいました。開放的な空間、アラーヴァリー山脈のふもと

でのハイキング、日の出を見ながらの早朝ヨガ、熱いチャイ

(訳注:インドのミルクティー)の香り、キャンプサイト近くの静

かな池の風景に、私はだんだんとなじんでいきました。

 

それに比べると、慣れない街中では、牛に近寄らないように

したり、運転手を探すのに首を目いっぱい伸ばしたり、もっと

ピリピリするはずですが、私は目の前の光景にくぎ付けにな

って立ちすくみました。二人の女性が、竹で組まれた足場の

下で作業をしています。彼女たちは「マサラ」を混ぜています。

この「マサラ」という言葉は、西洋では「紅茶」という意味で誤用

されることがありますが、ヒンドゥー語ではより広い用途で「混ぜ

合わせたもの」を意味すると聞いています。なのでこの建設現場

での「マサラ」は、レンガを積み上げるのに使用するセメント、泥、

土を混ぜ合わせたもの、という意味です。

 

その女性は腰をかがめ、原料を小さな火山状にして真ん中

の穴に水を注ぎ、パスタ生地をこねるように端から内側に力

強く練っていきます。道具を使ってはいるものの、骨の折れ

る作業です。全身を使い、道具を斧のように頭の上に振り上

げてから十分勢いをつけて振り下ろし、壁を作るためのレン

ガを固定させるのに適切な硬さになるまで水分を含んだコン

クリートを押したり引いたりして練らなければなりません。

 

 

なぜ詳しいかというと、このスタディーツアーで経験したから

です。街に来る前、ラジャスタン州にある農村アントリのとあ

る小学校で、WEヴィレッジの活動の一環として、教室の増築

を少数のボランティアメンバーでお手伝いしました。自分で混

ぜ合わせてペースト状にした灰色のマサラでレンガの層を積

み上げ壁にしていく作業は非常にやりがいがありました。
 

現場監督は英語を話されない現地の方なので「うまくでき

いますか?Thik hai?」と現地の言葉で聞いてみました。
 

出来がよかったかどうかは教えてもらえませんでしたが、自

分の並べたレンガがまっすぐになっているかどうか時々調整

しながら見て回りました。

その朝、ウダイプルに向けて出発したのですが、そのときは

WEのグループから離れることに不安を抱いていました。でも

インドの最貧地域では、人々を階層に縛り付けている厳しい

カースト制度があり、子どもに結婚や児童労働を強制するケ

ースは非常に多いです。それについて自分の眼で見てこよう

と自分自身を奮い立たせました。もう私はうぶな旅行者では

ありませんでした。週5インドカレーでも平気でしたし、あと、ヒ

ンドゥー語で5まで数えられました。もう覚悟はできていました。

 

初めはその女の子に気づいていませんでした。
 

彼女は小さく、カナダでいえば健康な4歳児くらいの体格

でしたが、栄養失調や発育不全を考えれば、8歳くらいだ

ったかもしれません。彼女の浅黒い肌は泥や白いセメント

粉で白く汚れ、彼女の着ているサリーからたまにのぞく肌

にもその汚れが点々と付着していました。間に合わせのピ

ンク色のサリーは太陽の日差しから守るためのものですが、

ここの日差しは冬でも強烈です。

マサラを入れた底浅で直径の大きなボウルを彼女が器用

に頭に載せ、頭の上でしっかり支えながら後ろに見える階

段を上がって建設中の建物内に入っていくのを見ていまし

た。中にまだ壁を作らなければならないのでしょう。彼女の

身のこなしに子どもらしさはありません。まるでおとなのよう

に、自分の置かれた状況を受け入れ、その歩く姿には芯の

強さを感じましたが疲れ切った様子も見えました。

 

私はこのとき誰かに叫ぶか(でも誰に?)、彼女を抱き上げ、

どこかに連れ去りたい思いに駆られました(母親から引き離し

て?カナダへ連れて帰る?でもそれからどうするの?)。それ

は彼女に対する場当たり的な感情だったと言ってもいいでしょう。
 

通りを歩く商売人、旅行者、交換留学生、手のかかる子ど

もたちを引っ張っていく女性たち…誰一人として、その光景

に歩みを止める人はいません。一瞬、誰も立ち止まらない

ことを気がかりに思いました。でもなぜ誰も立ち止まらない

のかは分かっています。

 

 

その女の子を救い出すという私の妄想は、まったく理性的で

はありません。問題はその女の子を救うことよりもずっと根深

く、他を解決しないことにはその子は救われません。子どもが

子どもらしくいられるためには、結局のところ、カースト制度な

ど構造的な問題に立ち向かわなくてはなりません。

 

その数日前、私はWEヴィレッジのパートナーコミュニティー

であるカルタナ村で、新しい教室のオープンセレモニーを見

てきました。そこでの子どもたちは歓声を上げ、興奮を抑え

きれない様子で、子どもらしく、お祝いに飾られた風船を割

ったり机の間を駆けまわったりしていました。
 

年内にはアントリの教室もオープンし、さらに多くの子どもた

ちが児童労働に従事するのではなく、学校の生徒になること

でしょう。

 

 

私は街の雑踏に戻ろうと、再び歩き続けました。


(原文記事執筆: ケイティー・ヘウィット  翻訳:翻訳チーム 山本晶子  文責:清田健介)

 

 


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