悲劇を経ても、変わることない教育への想い、そして夫への想い

フリー・ザ・チルドレン/ WE Charityが支援事業を行ってい

る、インドのカルタナ村。今回ご紹介するのは、この村の教

育を支えてきたある夫婦の物語です。(清田)
 

https://www.we.org/stories/human-interest-stories-love-of-learning/

 

これは、ある男の子と女の子が―教育と、そしてお互いに―

恋に落ちてしまった愛の物語です。
 

そこはインド北部の農村部。結婚と言えば親など周囲が決

め、部族の娘は、学校で勉強を続けることはできません。

 

ジュミー・バーイとダーナ・ラルは、インドの指定部族の居住

地野村に住む(一定地域の全原住民に政府が指定する村)

村人です。この指定のために、部族が社会から取り残され、

貧困が生まれ、学校教育もほとんど行われず、道路を建設す

るのに岩石を破砕するなどの重労働が日常といった状況が生

み出されます。

 

しかし、この二人の子どもは、共に、教育が人生を変える」

という希望を持って成長しました。


ジュミー・バーイってどんな人?

 

ジュミー・バーイが学校に行き始めたのは9歳のとき。彼女

の父親が、「たとえ女の子であっても教育を受けさせれば家

族の助けになる」と、地元の教師から説得を受けたのです。

ジュミー・バーイは家族の中で、学校に行った最初の女性でした。

 

ジュミー・バーイが3年生の頃には、当時6年生だったダー

ナ・ラルとの、縁談がすでにまとめられていました。双方の

親は、二人はお似合いだと確信したのです。

 

この若いカップルは、教室の中で言葉を交わしませんでした。

男女が言葉を交すということは、1970年代後半ラジャスタン州

の農村部では、不適切な行為とみなさることでした。

 

「私たちはお互いに短い手紙を書いたものです」ジュミー・バー

イは当時の思い出を、少し頬を染めて語ります。

 

しかし、これらの手紙は、ラブレターではありません。

 

「勉強を中断してはいけないよ」ダーナ・ラルは将来の妻に

書きました。「教育をしっかり受けたら、将来は良い暮らしが

できる」

 

彼女は返しました。「あなたも勉強を止めないで」

 

6年生のころには、ジュミー・バーイは4つの村落(政府が運

営するパンチャヤート村全体)で学校に通う唯一の女の子に

なっていました。16歳にときには、クラスで最年長の生徒でし

た。その年、ジュミー・バーイは村のヘルスセンターでの仕事

に就き、月給を家族の生活費にあてました。

 

翌年、政府は農村部にさらに数校の学校を開校しました。

その新しい学校のための教師が必要になりました。女性は

5年生の教育、男性は中学2の教育を修了していれば、誰

にでも教員資格受験資格がありました。ジュミー・バーイは

午前4時に起床して自分の村からテスティング・センターに

通いました。彼女は教員試験に合格して教師になりました。

そして夫にも同じように教師になって欲しいと思っていたのです。


ダーナ・ラルってどんな人?

 

少年時代、ダーナ・ラルは雨の日は学校まで泳いで通い

ました。乾季にはひび割れた通学道を這うように沿ってい

る小さな道も、雨季の間は溢れんばかりの川になりました。

ダーナ・ラルはバックパックに衣服を詰め込んで、川の向こ

う岸にそのバッグを放り投げていたのです。川を渡ると今度

は教室まで12キロの道のりを歩き通しました。

 

ジュミー・バーイが教師になったとき、ダーナ・ラルは中学

3年生でした。彼はビジネスに興味があったのですが、自分や、

妻の教育に力を貸してくれたすべての先生を思い返しました。そ

して、彼は妻のプランに従うことに同意したのです。

 

ダーナ・ラルが教員試験の準備をしている間、妻のジュミ

ー・バーイはカルタナ村で地元の子どもたちに教え始めま

した。当時、村には学校が一校もなかったのです。彼女は

政府を説得して、1年生から5年生までの生徒を対象にし

た小学校を開校させました。

 

ダーナ・ラルが教員試験に合格すると、彼が校長になり、ジ

ュミー・バーイがヒンディ−語を教えました。教師を務める一

方で、二人は通信教育で自分たち自身の勉学を続けました。

ダーナ・ラルは大卒資格を取得し、ジュミー・バーイは高卒資

格を習得しました。その間も二人は息子と娘を育て上げ、最

終的に両方とも大学にまで進学させました。

 

愛によって設立された学校

 

村の学校の設備は、充分とは言い難いモノ(雨が降れば雨

漏りのため授業は中止)だったにもかかわらず、二人は25

年近くもの間、こんな状況を学習と笑いで満たしてきました。

しかし、二人はいつか都市部の私立の学校にも負けない立

派な学校、都市部の学校と同じように、大きな夢と限りなく学

ぶ機会を村の子どもたちにも提供してくれるような学校を、開

きたいと思っていました。

 

2013年、転機が訪れました。2008年からラジャスタン州

の複数の村と組んで活動してきたWE Charity(旧フリー・

ザ・チルドレン・カナダ)がカルタナ村にまで活動範囲を拡

張したのです。ダーナ・ラルは、先頭を切って新しい教室

の開設に奮闘しました。変革の先頭に立つこの精力的な

二人の姿が知れるようになり、その後数年間にわたって

北米と英国から非常に多くの援助の手が差し伸べられ、

新校の開設に至りました。

 

2016年の夏、二人は修復され、新しい机を備えた教室や、

トイレ(女生徒用の更衣室も兼ねた)や、手洗い場の拠点と

なる清潔な水道設備を誇らしくお披露目しました。

 

 

「私は、いつかここにもっと良い学校ができることを、夢見て

きました」ダーナ・ラルはお祝いに集まった多くの人に話しま

した。

 

教育とお互いの愛で、二人は数多くの障害を打ち破ってき

ました。

 

そんな時、悲劇が襲いかかりました。
 

ダーナ・ラルは心臓発作に見舞われ、そして、2016年の10

月に帰らぬ人になりました。50歳でした。

 

生徒や親、近隣の人たち、そしてWE Charityのスタッフは、

カルタナ村の教育計画を共に推進し、地域の教育状況に絶

えず変化を齎した、この校長先生の死を悼みました。

 

この偉業にもまして、ダーナ・ラルは、全ての子どもに教育を

受ける権利があると確信する信念の人でした。彼は夫である

と同時に、妻が行っている教師としての教育活動の大切さの

みならず、妻が女の子の良き見本となっていることの重要性

を理解していました。二人は夫婦としてだけではなく、教育者

としても、かけがえのないパートナーでした。

 

ダーナ・ラルの死後2か月して、その学校に新たに1つ教室

ができました。今度はジュミー・バーイが独りで祝賀の式典

を見守りました。この時、村に教育という幸せを広げてるた

めに人生を捧げてきたダーナ・ラルを思い浮かべて、涙が

静かに頬を伝いました。それでもなお、彼女はできる限り

最高の手本であり教師であり続けようと心に誓いました―

これこそ彼が私に望むことだろうと。

 

「私はいつもこの学校の子どもたちが最良であり最高の教

育を受けなければならないと思ってきました」ジュミー・バー

イはそう思いを語ります。「だから私は教壇に立ち続けてい

るのです」。

 

ひどい悲しみに沈みながらも、彼女は教えることによってそ

の喪失感をゆっくりと克服しています。生徒で満ち溢れた教

室の前に立って、彼女は愛するダーナ・ラルの記憶を生き生

きと蘇えらせています。


 

(原文記事執筆:ワンダ・オブライエン  翻訳:翻訳チーム 松田富久子 文責:清田健介)


インド カルタナ村自立支援レポート!


私たちは、インド北西部のラジャスタン州で、1998年から、地域の村人とも協力しながら事業を行っており、

自立支援事業のうちの教育支援レポートが届きましたのでご紹介させていただきます。

 

ラジャスタン州は人口7500万人で、農業や家畜業、炭坑夫が主要産業です。州内に暮らす先住民や、下級カーストに属する人たちは、州の政府や、開発事業から排除されている状態が長年続いています。このため、多くの人が、教育や清潔な飲み水、衛生設備、収入を得るための機会、保健サービスや、栄養価の高い食品などにアクセスすることができずにいます。

 

カルタナ村について
 林や丘、山岳部、谷あいの耕作地からなる起伏ある地形となっているカルタナ村には、1400人が暮らしています。経済的に発展を続けていますが、地域は未だに、絶対的貧困率や非識字率の高さなどの難題に直面しています。
 

 

教育支援について
カルタナ村の小学校は、日々進化しています!

2016年の夏から、小学校の2つ目の教室の建設を行っています。

この他に、現在2つの事業を小学校で開始しており、学校の境界壁の建設と、ガーデンテラスの境界壁の建設を行っています。
 

 

これらの事業により、充実した学習環境を、教育を受ける機会から取り残されていた多くの村の若者に提供できるようになります。私たちがカルタナ村で事業を開始してから、この小学校に教室が一つ完成し、三つの簡易型トイレが設置され、手洗い場も整備されました。事業や建設をこれからも継続し、生徒たちにとってカルタナ村の小学校が、安全で勉強に集中できる場となり、充実した学校生活を送れる場となることを目指します。


 
FTCJからのご支援は、全てカルタナ村のために使われます。カルタナ村の教育へのアクセスの改善、村内全体の支援を強化してくために使われます。支援事業を行っていく中で、村人の生活にも変化が起き始めています。

 

より多くの生徒が学通い、学力の向上や成績の向上、そして小学校の卒業率の上昇が見られるようになりました。インドでの教育支援のために集められた寄付は、下記の事業に使われます。
校舎の建設と改築、教員への研修事業、学習用具の配布、教育事業と、地域での教育活動(生徒を対象にしたワークショップや、村でのミーテイングなど)


 これまでのパートーナーシップを通じて、世界中の支援を行っている地域で、より良いインパクトを起こしていくために、FTCJのみなさんには多大なご支援を頂いています。

 

この事業は、株式会社チヨダさまの温かいご支援により実施することができました。

温かいご支援心より感謝申し上げます。

 

みなさまのご協力に感謝申し上げます共に、今後も前向きな変化をみなさまと一緒に起こしていくことを、楽しみにしています。


ベルダラ村の学校に通う、ラクシュミのストーリー

 

フリー・ザ・チルドレンでは、インドのベルダラ村で学校建設事業を行い、先日1つの校舎の建設が完了しました。その学校に通う女の子ラクシュミのストーリーをご紹介させていただきます。

 

ベルダラ村コミュニティーレポート→http://ftcj.jugem.jp/?eid=1514

 

ラクシュミは、現在13歳。7学年で勉強しています。
数学とヒンディー語のクラスを受けられるのを特に楽しみにしています。

彼女はベルダラ村に両親と3人の兄弟と住んでおり、両親は農業で収入を得ています。


ラクシュミのおねえさんは、学校に通うためのサポートが受けられておらず、
途中で退学し、現在は日雇い労働者として働いています。

それを受けて、ラクシュミの家族は、彼女が高等学校を卒業し、大学に行くことの重要性を理解し、通学することにとても協力的です。

 

以前彼女が通っていた学校では、座るところを見つけるのも難しく、黒板を見ることもできず、勉強に集中することができませんでした。そして雨がふると雨漏りがして、雨季には授業を受けることもできませんでした。

 

家族は、ラクシュミがきれいな制服を来て、教科書をもって毎日学校に行っていることを、とても誇りに思っています。

彼女は、教員になって家族を支えていくという大きな夢をもって、日々学校に通っています。

 

 

 

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現在フリー・ザ・チルドレン・ジャパンでは、

寄付するプロジェクトを選択できる「プロジェクト寄付」を設け、ご寄附を募っています。

詳細はこちら:http://www.ftcj.com/donate/project/project.html

 

皆様からのあたたかいご支援・ご協力心より感謝申し上げます。


 


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