全ての子どもの教育を受ける権利が守られる世界に!:キサルニ女子学校卒業生の手記

今回は、キサルニ女子学校のジャーナリズム部で活躍して

いたOG、フェイス・チャーロップの手記を紹介します。自身

の教育を受ける権利を求めてフェイスが起こしたアクション

は、家族、そして学校を動かしました。(清田)

 

https://www.we.org/stories/local-kenyan-girl-fights-for-her-right-to-an-education/


私の名前はフェイス・チャーロップです。19歳です。私の家は

15人家族で、8人の兄弟に6人の姉妹、そして父がいます。私

が学校へ行こうと考えていた時、父は私が教育を受けること

に賛成してくれませんでした。なぜなら、私たちの村では、教

育は男の子に受けさせるものとされているからです。
 

私が小学校を卒業した頃、父は私を中学校へ行かせるよう

な経済的余裕がありませんでした。仮にそれが可能だった

としても、きっと父は男兄弟だけを中学校へ行かせただろう

と思います。
 

そういうわけで、私には家事を手伝うか結婚をするかのどち

らかしか選択肢がありませんでした。しかしそれでも私は、結

婚はしないと心に誓っていました。私はどうしても教育を受け

たかったのです。
 

その頃、とても有り難いことに、フリー・ザ・チルドレンが私た

ちの村に女子高を設立しました。私は、その年にキサルニ女

子学校の新入生にどうしてもなりたかったのですが、残念な

がらその希望は叶いませんでした。ひどく落ち込み、がっか

りして、もうどうしようもない気持ちでいっぱいでした。その後

数週間、私はしばらく家に引きこもっていましたが、ある日、

私は自分でキサルニ女子学校へ行き、高校に入学するチャ

ンスをもらえるよう直接お願いすることを決めたのです。
 

私は校長のマダム・キャロル先生と面談し、自分の事情

を説明しました。先生はとても理解のある、優しく、親切

な方でした。また、教育を受けたいという私の強い意志

に触れて喜んでおられました。
 

そしてその翌日、私はキサルニ女子学校からの入学許可

通知を受け取りました。嬉しくて嬉しくて、その日の夜は眠

れませんでした。
 

私がキサルニ女子学校へ行き始めてから、父は女子教育の大

切さや、女子にも教育を受けさせることが、満遍なく村全体を教

育することになるということに気付き始めました。そして、私にア

ドバイスをしたり励ましたりしてくれるようになりました。実際に学

校にもよく来るようになりました。
 

学校生活のなかで、私は人前で話すことが得意だというこ

とを知ることができました。それだけでなく、生徒会長にな

るチャンスにまで恵まれました。今では、家族や村全体の

なかでも私は発言力があります。高校を卒業したら、私は

大学へ行ってジャーナリズムを勉強する予定です。そして

大学を卒業したら実家や自分の村へ戻り、今よりもみんな

の暮らしが良いものになるようサポートし、特に女子教育へ

のサポートをしたいと思っています。教育は、幸せになるた

めに欠かせないものです。

 

(原文記事執筆:フェイス・チャーロップ 翻訳:翻訳チーム 

東暁子 文責:清田健介)

 


「産まれてきておめでとう!」:全ての命にそう言える世界をめざして

世界中で、毎日聞こえる赤ちゃんの産声。でも、赤ちゃんを

安心して迎えられる状態に世界中がなっているかといえば、

残念ながらそうではありません。フリー・ザ・チルドレンは、そ

んな世界を変えるための取り組みを行っています。ケニアの

バラカ病院もその一つです。(清田)
 

https://www.we.org/stories/baraka-hospital-provides-live-saving-care-in-maasai-mara-for-expectant-mothers/


妻の陣痛が始まると、ジェームズ・オンワヤはパニックにな

りました。

 

「3人も子どもがいるのだから、その状況には慣れていると

思いますよね」と彼は言います。それでも彼が緊張してしま

うのは、医療設備の不足を懸念しいているからでした。

 

出産当日の準備を進める中で、ジェームズと妻のベロニカ

は赤ちゃん用の服やおむつ、毛布を入院用のバックに詰め

たり入れ直したりしました。夫婦は、病院へ行っている間に

子どもたちの面倒を見てもらえるよう妻の妹にも頼みました。

 

そのような状況だったので、彼は「いつでも赤ちゃんを迎え

られると思った」と言います。

 

 しかし、子どもたちの一人が「お母さんが痛そう」と駆け寄

ってきた時、ジェームズは仕事を投げ出し、難産にならない

ことを願いながら一目散に家へ帰りました。

 

彼が心配するのには、事情がありました。

 

2年前、ベロニカは3人目の子どもを出産しました。家族は

ケニアのマサイ・マラ国立保護区内のムニアスという村に

住んでいました。そこから最寄りの医療施設であるバラカ

クリニックまでは車で45分かかりました。クリニックは、少

し前に新たに外科手術棟が整備され、医療設備が完備さ

れた病院となりました。

 

当時、バラカクリニックは村に住む人々に必要な治療を提

供する保健センターとしての役割を担っていました。しかし、

産婦人科棟はありましたが、難産の場合に対処するための

設備は整っていませんでした。ベロニカの赤ちゃんが危険な

状態だとわかった時、彼女はクリニックから2時間もかかる医

療施設へ移送されると告げられました。バラカクリニックの救

急車は、その後彼女を安全に運び、ベロニカは無事に元気な

女の子を出産しました。しかし、夫婦はその時の恐怖を忘れる

ことができませんでした。

 

4人目の赤ちゃんを迎えようとしている今、ジェームズは夫

婦の出産計画を実行しました。妻の妹に来てもらい、運転

をしてくれる隣人を大声で呼び、車を手に入れました。でこ

ぼこの道のりを可能な限り早く病院に着けるよう向かいま

した。

 

病院に到着後、ベロニカは入院となり、ジェームズは病室

の外で待機しました。2時間もすると、彼はそわそわとし始

めました。当時を思い出しながら彼は言います。「農夫とし

て忍耐力には自信があったのですが、妻の出産時となると

落ち着いてなんていられませんね」

 

ジェームズが待合室をうろうろ歩き回っている時、ベロニカ

は陣痛に耐えていました。医者たちが、赤ちゃんが苦しい

状態に陥り、自然分娩が難しい状況だと彼女に伝えると、

ベロニカは異変を心配し始めました。彼女には緊急帝王切

開術が必要でした。

 

病院スタッフがジェームズに状況を報告すると、ベロニカは

外科棟に移送されました。「先生たちが何をしようとしている

のか、理解できずにいました。でも、赤ちゃんを安全に産む

にはこの方法しかないと説明されました」とジェームズは言

います。2年前の恐怖を思い出しましたが、現在のバラカ病

院では難しい症例も治療できる設備が整っているので、ジェ

ームズに不安はありませんでした。どこか他の場所へ移動す

る心配は必要ないのです。医師たちはその場でベロニカの手

術をすることができました。

 

2017年7月1日、ベロニカとジェームズはバラカ病院の外

科棟で緊急帝王切開術によりイースター・クワンボカを授

かりました。ベロニカは、バラカ病院で初めて帝王切開術

で出産した女性でした。「先生たちに手術をするしかない

と言われた時は、不安でした」と彼女は言います。「でも、

やっと娘を抱きしめた時は、本当に安心しました」

 

以前は受けることができなかった今回のような外科治療が

身近になり、出産を控える母親たちの声は感謝で溢れてい

ました。母親の一人でアビゲイル・トヌイは、緊急帝王切開

術で2人目の子どもを出産した後、病院での経験を尋ねら

れた時のことを振り返ります。彼女は「Kongoi, kongoi miss

ing dagitari. Mungu asaidie waliojenga hii hospitali ambayo

imenisaidia」とスワヒリ語で言いました。「先生に大変感謝し

ています。私を助けてくれた病院を建てた方々にも本当に感

謝しています」という意味です。

 

WE(フリー・ザ・チルドレン)は、2010年10月からバラカ病院

での医療支援を通して、数千人もの母親たちの健康管理

を支えてきました。最初は、母親たちが産前・産後を通して

質の良い医療の確保を目的とした健康センターとして開設

しました。そして2017年初めには病院としての機能を備える

施設になり、母子の死亡率減少のための機能を担う外科棟

が整備されました。

 

バラカ病院の院長であるネヘミア・カハトは、新しい外科棟

ができたことで、病院が妊婦たちにより良い医療を提供す

ることができると言います。また、「万が一、合併症が起こ

ってしまっても、今はその場で対処できることを嬉しく思い

ます」と語ります。

 

この記事を執筆中の時点で、バラカ病院の産科病棟は満

室でした。6人の新生児たち(うち2人は双子!)がお母さん、

お父さんや家族に付き添われて赤ちゃん用ベッドを満床に

しました。この赤ちゃんたちは、病院にいつでもかかること

ができるのが当たり前の世代として育ち、「病院の設備が

整っていなくて大変だった」なんていう話は、昔話としてお

となから聞くことだけの、縁のないものになっていることで

しょう。そういう変化が起こるのは、そんなに悪いことでは

ないと思います。

 

(原文記事執筆:セディ・コスゲイ 翻訳:翻訳チーム 山田

あさ子 文責:清田健介)

 

 


学べる喜びを噛みしめ、未来へと羽ばたくケニアの若者たち

いよいよ始まった新年度。入学や就職・転職など、新たなス

テージを迎えられた方も多いかと思います。ケニアのWEカッ

レジの第一期生たちも、学ぶ喜びを噛みしめ、前に進んでい

ます。(清田)
 

https://www.we.org/stories/we-colleges-opens-in-kenyas-maasai-mara-bringing-college-education-to-girls-in-kenya/


 

ケニアのマサイ・ マラ村は、快晴の月曜日を迎えました。

でも今日はいつもとは違う月曜日:WEカレッジの開校の日

なのです。

 

22歳のバレンタイン・ ケプコリーは、重い荷物を抱えて、活

き活きとした足取りで校門に向かって歩いて行きます。家族

の誰一人として経験したことのない、大学の初日を、まさに

いま、迎えようとしているのです。

バレンタインは、WE(フリー・ザ・チルドレン)のキサルニ女子

学校の高校生としてずば抜けて優秀でしたが、8人兄弟の5

番目の子だったため、大学への進学を選択肢の一つとして

真剣に考えたことがありませんでした。

 

「両親にはそんな余裕もありませんでした。この学校に入学

できるだけでなく、奨学金までも受ける資格があるという内

容の通知が来た時、私は大声を上げてしまいました」と、バ

レンタインはその時のことを話します。

 

彼女の前に、何人かの若い女性が大学の校舎に向かって

進んで行きます。彼女たちはまた、オリエンテーションなど

に、参加しながら、世界中の大学の新入生に共通して湧き

起こる気持ち、家族の有難みを心に刻みます。新入生はキ

ャンパスをくまなく調べまわり、寮の部屋を整理して、第一週

目の授業の準備へと進めて行きます。

WEカレッジは農村部出身学生が、質の高い高等教育を受

けられるようにするために開校しました。これは、WEがケニ

アで教育を受ける機会を拡充するために行う、新たな挑戦

なのです。

 

WEはこの地域で支援をスタートした時、ナロック郡の小学

校(小〜中2)を中心に、国立の学校でインフラ整備の支援

を行いました。その後、学校に来る生徒―特に女子―の数

が増えていることから、WEはビジョンをさらに広めて、マサイ

・ラマ村に女子高校(中・高校)を開設し、小学校卒業後も女子

生徒が引き続き教育を受けられることを可能にしました。要望

が非常に高く、最初の開校から2年後に、2番目のキャンパス

を誕生させました。

 

昨年の1月にWEは更に第3のキャンパスとなる男子高

を開校させました。そしてかつては高校にまで手が届く

ものかと疑っていた学生が、今や大学のキャンパスを歩

いているのです。

 

大学の講義は、観光マネジメントの専門課程から始まり、

その後、地域保育、臨床医学、農業起業論など広範囲に

わたって行われます。「観光マネジメントの講義から始め

るのは、観光業界の人材の需要が高くなっているからで

す。」この大学の学長、ゲルトルード・マナニーは言いま

す。「これらの若い女性は、良い仕事について、自分や

家族の生活水準を向上させることができるでしょう」。

 

アグネス・コリルは娘のナオミ・ ケプコーイと一緒に大学に

来ました。家を離れて娘も悲しくなるだろうけれど、アグネス

は自分の娘を誇りに思っています。「私は学校教育を受けた

ことは一度もありませんが、常に子どもたちに最高の教育を

と希ってきました。今日娘を見送ることはつらい、でもとても

幸せです!」

 

入学初日の夕日が沈むころ、バレンタインやナオミなどクラ

スメートは、続々と寮に移り、まさにいま、大学での学位取

得に向かって旅立とうとしています―夢の実現を祈りつつ。

 

(原文記事執筆:セディ・コスゲイ 翻訳:翻訳チーム 松田富久子 文責:清田健介)

 

 

 


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